どうすれば進化の過程で毒を獲得できるのか
ワンピースのマゼランといえばドクドクの実の能力者の毒人間。
彼を見ていて思ったのですが、後天的に毒を獲得するってどういうことなのでしょうか?
毒晴れてるけど基本的にはタンパク質だったりするみたいなので、その大元は遺伝子になるばず。
となると、遺伝の際の遺伝子のエラーが毒の獲得に直結していると考えられますよね。
病原性大腸菌のO-157がこんな感じなんだと思う。
でも、他方で昔っから日本人の食卓に潜り込んで、種を存続させることに成功させた(海外と大阪ではまだ成功していない)納豆菌が毒性を持ったなんてことは聞いたことがない。
話はすこしそれるが、私は大学院での研究対象が納豆菌の仲間の枯草菌だった(学術名はBacillus subtilisであり、納豆菌の学術名はBacillus subtilis natto)。実はこの枯草菌は大腸菌の次くらいに研究されている非常に有名な菌で、この生物の遺伝子組み換えによって世界に溢れる様々な有用物質が生産されていたりする。
有名すぎて枯草菌学会なんてのも昔にあったみたい。それで、そういった会議では『枯草菌は古くから人と共に歩んできており、毒素を発生させないので安全な菌である』というフレーズをよく耳にする。
理由はよくわからないが枯草菌も納豆菌も安全ということは学者の証言でもある。
こうやって考えると、大腸菌のような後天的に毒素を獲得できる生物はもともと毒素の遺伝子を持っているが、それが発現していないだけであり、遺伝子のエラーによってその眠っていた遺伝子が機能するようになるという考えが正しいような気がする。
他方、納豆菌のような生物は毒素に繋がるような遺伝子を全く持っていないんだろうと思う。
だから基本的には毒に繋がる遺伝子を持たない生物はずっと毒を持たないのだろうと思う。
微生物の特徴の一つは、その世代交代の驚異的な早さ(枯草菌は好条件下であれば20分に一回のペースで細胞分裂できる。)であり、そのことで遺伝子のエラーが起こりやすくなっている。
人は一生のうちに数回しか子を産まないことを考えると、同じ期間で考えたときに遺伝子のエラーの起こりやすさに天と地ほどの差があることがわかると思う。
ただ、私は私のクローンを1000万回でも何回でも世代交代させ、遺伝子のエラーを引き起こしたとしても、自分が毒を持つとは思えない。
キルアみたいに毒を接種し続ける人種がいれば、その種族は毒を発生できるようになふのだろうか。
ちゃんと調べればすぐにわかるようなことを、だらだらと考えてしまった。
八重洲ブックセンターに平積みされていたこの本でも読んでみようか。
- 作者: クリスティーウィルコックス,Christie Wilcox,垂水雄二
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2017/02/16
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【実体験あり】子どもに読書の習慣を持ってもらうために、なぜハリーポッターが良いのか。
今、私史上最大の読書欲が私を襲っています。
きっかけがなんだったのかわかりませんが、少なくとも一つの要因として、読書に関する本を読んだからだと思います。
一冊は昨日紹介した、脳科学者の茂木健一郎さんの『頭は本の読み方で磨かれる』という本。
頭は「本の読み方」で磨かれる: 見えてくるものが変わる70冊 (単行本)
- 作者: 茂木健一郎
- 出版社/メーカー: 三笠書房
- 発売日: 2015/06/24
- メディア: 単行本
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もう一冊は、元外交官の佐藤優さんの『読書の技法』という本です。
読書の技法 誰でも本物の知識が身につく熟読術・速読術「超」入門
- 作者: 佐藤優
- 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
- 発売日: 2012/07/27
- メディア: 単行本
- 購入: 10人 クリック: 361回
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茂木健一郎さんの本は本を読むこととはどういうことなのか、脳にとってどのような良いことがあるのかということを複数の視点から教えてくれる非常に優しい本です。
この本によって、新しい読書の楽しみ方を知れたことが読書欲が高まっている一因だと思います。
対して佐藤優さんの本は非常に手厳しいです。
これまでの自分の読書法が間違っていたのではないかとさえ思わされます。
色んな危機感を抱かせてくれる本。書を通じて勉強するということはどういうことなのかということをこれほどまでに明確に教えてくれる本はなかなかないと思います。
「読書法なんて人に教わるものじゃない」という方も、「しょーがないからちょっと見てやるか」くらいの気分で読んでみてください。読書好きなら人の読み方にもきっと興味を持てるはずです。
そして、私がこの本の中で最も衝撃的だったフレーズを以下に挙げます。
標準的なビジネスパーソンの場合、新規互角の勉強に取り組む必要が無く、ものすごく時間がかかる本が無いという条件下で、熟読できる本の数は新書を含め、一か月に6~10冊程度だろう。つまり、最大月10冊を読んだとしても、1年間で120冊、30年間で3600冊にすぎない。
3600冊と言うと大きな数のように見えるが、中学校の図書館でもそれくらいの数の蔵書がある。人間が一生の間に読むことが出来る本の数は対してないのである。この熟読する本をいかに絞り込むかということが読書術の要諦なのである。
私は一年間で読んだ本が一番多かったときで年間100冊程度でした。
人生でそんなに多くの本を読めないことには気づいていましたが、実際に計算すると僅か3600冊なんです。
このことを知って非常に焦りました。
だから私は今本を読んでいます。
で、今の私の心理状態はこれまでとは違って、他人に本を読んでもらいたい気持ちで溢れています。
なぜかというとそれが脳にとって良いことであり、読書が共感能力を高めることが証明されているからです。
そして、共感能力の高まりが様々な暴力を減少させることも知られています。
だから、本を読んでほしい。
そして読書を好きになるためには、まず本を読んでください。
この説明には脳科学者の茂木健一郎さんの言葉をお借りします。
うれしいことがあると、脳の中に「ドーパミン」という物質が放出されます。あることをやってドーパミンが出ると、その行動をとる回路が鍛えられる。何かにはまる。依存する。それを司るのかドーパミンなのです。
驚くべきは、人が学習するのは、基本的には悪名高き「中毒(依存症)」としくみが同じということです。
そして、自分には無理だと思っていたことが出来たとき、起こらないと思っていたことが起きたときに、もっともドーパミンが出るといわれています。
あることが苦手だった人の方が、それが出来るようになったときの喜びが強いことは想像に難くありません。
つまり、読書が苦手な人、チャンスです。本を読むのに努力を要する人ほど、本の効果が上がるわけですから。
本をほとんど読んだことのない人ならば、一冊読み切るということに挑戦して、最後まで読みとおすことをおすすめします。読み切れないと思っていたのにできると、たくさんドーパミンが出て読書が少し好きになるでしょう。
自分にとって読み切れてうれしいと、感じられるような、簡単すぎず、難しすぎないくらいの本に挑戦してください。
それを繰り返して行くうちに、いつのまにか読書が楽になって、もっともっと知りたいと読書に積極的になっているはずです。
これが読書を好きになるために、読書をしてほしいと言った理由です。
だまされたと思って、一冊本を手にとって頂ければ幸甚です。
ちなみに、母親曰く、私にとっての最初の一冊は小学生のころに読んだハリーポッターだったそうです。
- 作者: J.K.ローリング,J.K.Rowling,松岡佑子
- 出版社/メーカー: 静山社
- 発売日: 1999/12/01
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この一番最初に出版された辞書のように分厚い一冊です。
この分厚さこそが小学生だった私には非常にハイレベルな本に映っていたことは想像に難くありません。
そしてきっと読み切った後は達成感と自身に満ち溢れていたのだと思います。
これが成功体験となってドーパミンがどばどば溢れて、私は読書好きになれたのだと思います。
振り返ると、人生のどのタイミングでどんな本に出会うのかということが如何に大切であるかということを感じずにはいられません。
もし、小学生のお子さんがおられる方がこの記事を読んでくださっていましたら、ハリーポッターは文庫本ではなく、ハードカバーで読ませることを勧めます。
話があちこちに飛びましたが、今私は人に本を読んでほしいと思えるほど、読書欲に満ちています。
その気持ちを皆様と共有できれば非常にうれしいです。
どんな本でもよいので一冊手に取ってみてはいかがでしょうか。
頭は「本の読み方」で磨かれる: 見えてくるものが変わる70冊 (単行本)
- 作者: 茂木健一郎
- 出版社/メーカー: 三笠書房
- 発売日: 2015/06/24
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読書の技法 誰でも本物の知識が身につく熟読術・速読術「超」入門
- 作者: 佐藤優
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【感想/頭は本の読み方で磨かれる】読書は脳にとってどのような意味を持つのか。【茂木健一郎】
本を読む人と読まない人がいます。
私は本を読む人です。
今、私は一人でも多くの人に読書の楽しみを知ってもらいたいと思っています。
でも、読書って一体なんなのかという思いに至りました。
いや、私は読書が好きなのである程度の回答は出来ます。
自分の人生では味わえない他者の人生を体験することが出来る。過去や未来に簡単に行けて、その世界を体験することができる。歴史上の人物と友人になれる。知識を増やすことが出来る。他人の感情を垣間見ることが出来る。世界を暗い部分も見ることが出来る。
挙げればきりがありません。
ただ、これらのことに対してどれだけ読書というものが優位性を持っているのかということについてはあまり自信がありませんでした。
だから今回は、脳科学者の茂木健一郎さんの『頭は本の読み方で磨かれる』という本を紹介しながら読書について考えていきたいと思います。
本を読むか、読まないか。この決定的な違い。
それを脳科学者の茂木健一郎は以下のように述べています。
映画や映像、音楽などもいいのですが、本が一番「情報の濃縮度」が高いことは確か脳に一刻一刻膨大な情報が入ってくるのを、最後に「要するに、こういうことだよね」というかたちにまとめ上げるのが「言語」です。つまり言語は、脳の情報表現の中で最もギュッと圧縮されたものなのです。
その圧縮された言葉をしっかりと受け取れば、脳の中で時間をかけてじわじわと味わいが広がり、一生の肥やしとして消化されていくことになるでしょう。
「本なんて必要ない」と思っている人は、いずれ人生の深みや喜びに差がついて、絶対に後悔することになる。
これが茂木健一郎の考える本の優位性です。
本を読むと共感能力が向上する
1.共感能力が上がる
2.雑談力が上がる
この二つが茂木健一郎が考える読書による効果です。
本を読むと、現実にはありえない状況や、様々な人物の気持ちを想像するトレーニングになると本書では繰り返し述べられます。
そして、そのことが共感能力を高めることに役に立つということは明らかで、実際に科学的見地からも証明されていることです。
少し話は脱線しますが、私は今『暴力の人類史』という本を読んでいます。
今、世界はテロの恐怖にさらされ、過去よりも暴力のはびこった世界に身を置いていると考えられる方も少なくないと思います。
しかし、実際はその逆で、人類は世界から暴力を排除することに成功し続けています。世界大戦だってもうずっと起きていません。起きる気配もありません。
そして『暴力の人類史』という本は、人はなぜ世界に溢れる暴力を減少させ続けることができているのかということを膨大なデータから読み解いていく、21世紀の名著の一つです。
そして、その暴力を減少させることに成功した一つの要因が他者に対する共感能力であり、想像力だとされています。
そのうえ、その現代における人類の共感能力の高まりは留まることを知らず、『動物に対する暴力』『女性に対する暴力』『黒人に対する暴力』『子どもに対する暴力』など、優位な人にとってはささいな存在だったものにさえ共感できるようになってきました。
この一因は『暴力の人類史』という本でもやはり、読書が重要な役割を担っていると述べられています。
(上述した、動物、女性、子ども等に対する暴力については下巻に掲載されています。)
だから私は多くの人に本を読んでほしいと思うようになりました。
この共感能力を磨いて、もっとこの世界から暴力を減少させていきたいから。
では、本当に読書が人生に役立つのかということについても本書では述べられているので次はそちらを紹介します。
脳科学の見地からの読書
本を読むとどんないいことがあるのか。
それは読んだ本の数だけ、高いところから世界が見えるということにつきます。読んだ本の数だけ、足の下に本が積み重なっていくイメージです。
この現象を脳科学の言葉で表現するなら、脳の側頭連合野にデータが蓄積されていくということになります。側頭連合野とは、記憶や聴覚、視覚をつかさどっている部分で、その人の経験をストックする機能を持ちます。
つまり、「本を読む」ということは「自分の経験を増やす」ということなのです。
さきほど科学的見地からも読書の有効性は証明されていると述べましたが、それは脳科学の見地からも示されています。
これが私がまさに知りたかった、そして皆さまに伝えたかった読書の優位性の科学的証明です。
私が考える読書の優位性
私は、映画よりも本が好きです。それは本の方が丁寧に人物の気持ちを描写してくれるから。もちろん、映画の持つ音楽との共演やダイナミックさにはかないませんが、それでも人の内面を描くという点では本が圧勝だと思います。
だから私は本が好きです。
また、これは場合によりますが、実際のスポーツを観戦するよりも、アニメや漫画のスポーツの方が感動できてしまうことが多々あります。
最近では、ユーリというフィギュアスケートのアニメが大ヒットしました。私もすごくはまって、話によっては泣いたりして、そのあとプルシェンコや羽生君のスケートを見たりしましたが、正直ユーリの方が上でした。
きっと私と同じ感想を持った人は少なくないと思います。なぜならば、よほどのファンじゃない限り、実際に演技する人の感情や背景は見えてきません。
そのことを簡単に補完してくれるのが、言葉による内面描写だと思います。
きっとこれと同じ考え方で、Bリーグを見るよりもスラムダンクを読むほうが好きという人がいることでしょう。
私たちはリアルの世界に生きています。その世界では他者の気持ちは凄くわかりにくいです。本の世界なんて嘘っぱちだと考える人もいるかもしれませんが、全てが偽りにはなりえないはずです。
人の気持ちに疎い人でも言葉による補完があれば誰だって共感能力を向上させるトレーニングをすることが出来ます。
そして、その最高峰が映画でもアニメでもなく本だと思うのです。
だから繰り返しになりますが私は読書を勧めます。共感能力を向上させるために。
まとめ
頭は本の読み方で磨かれるという本は、第一級の読書論の本です。
読書に少しでも関心のある方は是非読んでみてください。
私のブログを読むよりも、読書好きの脳科学者が紡ぐ、至高の言葉や美しい論理展開に触れてみてください。
間違いなく、本の新たな見え方が見つかるはずです。
頭は「本の読み方」で磨かれる: 見えてくるものが変わる70冊 (単行本)
- 作者: 茂木健一郎
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【感想/歌うクジラ】旅の先にあるものが私たちに希望をみせてくれる【村上龍】
2022年、ハワイの海底を泳ぐザトウクジラから、人類は遂に不老不死遺伝子を発見する。だがその100年後、人類は徹底的に階層化され、政府の管理下に置かれていた。流刑地に住む15歳の少年アキラは、人類の秘密を握るデータを託され、悪夢のような社会を創造した人物にであうため、壮絶な旅に出る。(あらすじより)
この本を発見した瞬間に、クジラの歌というブログを運営する私が読まないわけにはいかないだろうという使命感にかられて読み始めました。
村上龍の作品について
唐突ですが、私は村上龍の小説があまり好きではありません。
コインロッカーベイビーズだけは読んだことがあるのですが、人間たちが本能むき出しでエロくてグロいという印象しかなかったためです。
でも、クジラの物語ならきっと楽しめるだろうと思ったのですが、何のことは無い。
クジラなんてほとんど物語に関係してこない。
そしてこの物語も本能むき出しでエロくてグロい。
なんでこんな小説を読んでしまったのかとずっと感じながら読んでいました。
村上龍文学を2作品しか読んだことが無い私が評するのは本質をとらえていない可能性がありますが、私にとって村上龍の小説はあまりにも暴力的すぎます。
そしてそれこそが村上龍の小説を異質なものにしていると感じます。
歌うクジラの異質さ
また、歌うクジラにおいては、『敬語の退廃』『あえて助詞を崩す人たち』『ボノボの生活を目指した人たち』など、文化的に現代とはかけ離れた時代が舞台です。
そしてそれらは不老不死遺伝子が発見されたことによる徹底的な階層化によるものだといいます。
この異質な世界の最下層である流刑地に生まれた人物こそが主人公のアキラです。
アキラは流刑地を無理やり脱出して、ただ一つの目的地へと突き進みます。
処刑される直前の父親から渡された世界を転覆させるというデータをある人物に渡すために。
その道中で、仲間を得ては仲間を失い、様々な過酷な目にあいながらそれでも目的地へと突き進みます。
いいことなんてほとんどない。笑うこともない。
世界観もそうですが、アキラを含めたほとんどの登場人物も現代人と全く思考回路や感情の動きを持つため非常に感情移入しにくいです。
ただそれでも読者を離さない、そんな小説を描くことができる村上龍の才能も素晴らしいとは思います。
この小説から何を感じるか
この記事を書くにあたって複数の方の感想を拝見させて頂きましたが、この小説は現代の風刺だという感想が多く見られました。
確かに、文化的に退廃した姿や階層化が起こす事象について考える一つのきっかけにはなりました。
それでもそもそもクジラに関する小説を読みたいと思っていた私にとっては退屈な感情を抱いたまま読み続ける必要がありました。
そんなこんなでどうにか頑張って、上巻を読み終えると下巻の帯には『紡ぎだされる新たな希望のかたち。』とか書いてあるんですよ。
嘘だろ。と。
こんな物語に希望なんてあるわけないと読み進めました。実際、やっぱりほとんど希望なんてなかったです。
主人公の持つ力と社会が持つ力に圧倒的な差があったため、爽快感もありません。
アキラはとてつもない距離を旅しますが、自身で目指しているのは最終目的地だけで、そこに至るまでの過程は全て受け身です。
そもそも目的とする人物がどこにいるのかもアキラは知らず、流刑地をほとんど離れたこともないのでアキラ自身ではほとんど行き先を決定できないのです。
一方で、その場その場の行動をどう決定するのかという点に関してはアキラは明確な意思を持って行います。
ただ、それでも過酷な旅に変わりはなく、アキラを助けてくれた多くの人が殺害されてしまいます。だから私はこの小説に最後まで希望は見いだせませんでした。
ただ、この物語の最後にアキラが一つの明確な答えにたどり着きます。
その最後の答えはアキラと一緒に壮絶なな旅をした読者にしか共感しえないと思うのでここでは記載しません。
ただ、アキラの旅もこの小説も間違いなくほんの10ページの最終章のためだけに紡がれたのだと理解しました。
最後の最後まで退屈な小説でしたが、最終章の素晴らしさ、アキラがたどり着いた答え、そしてそれに伴う読後感だけは圧倒的でした。
それらを希望と呼ぶのかもしれません。
この最終章のためだけにでも読む価値はあると断言できます。
よしもとばななによる解説のすばらしさ
そして、よしもとばななによる解説も素晴らしい。
難解な小説の解釈はやはり難しく、読者が孤独感にさいなまれる可能性すらあると思います。
でも、この小説は最後によしもとばななが寄り添ってくれる。この小説は難しいって言ってくれるし、自分が読みながら感じたことが間違いじゃないと教えてくれる。
解説があってこそ光る小説というものを始めて読みました。
よしもとばななの本も少なからず読みましたが、それらと比較しても本書の解説は素晴らしい文章だと思います。吉本ばななファンにも是非手に取っていただければと思います。
まとめ
非常に暴力的な小説です。全ての人にお勧めできるような小説でもありません。
ただ、それでも最後までアキラと一緒に旅をした人にしかわからない壮大な感動が待っています。
少しでも興味を持ってくださった方には、是非読んでいただきたい作品です。そしてその感想を共有させていただけたらこんなに嬉しいことはないです。
【今だから読みたい名作文学】星の王子様の解説をするオリラジの中田敦彦が素晴らしかった【しくじり先生】
普段テレビあんまり見ないんですけど、たまたま見たしくじり先生の新コーナー『今だから読みたい名作文学』がめちゃくちゃ面白かった。
オリラジのあっちゃんが、本好きじゃない人には敬遠されがちな名文学を紹介していくというコーナーで、初回はサン=デグジュペリの星の王子様が紹介されていました。
星の王子様は2015年現在、初版以来、200以上の国と地域の言葉に翻訳され、世界中で総販売部数1億5千万冊を超えたロングベストセラーである。
wikipediaより
つまり世界で最も読まれている作品の一つです。
私自身は世界の名作は結構好きで、星の王子様も何年か前に読みました。
ストーリーもなんとなく覚えていましたが、あっちゃんも言っていたようにとらえどころのない作品という印象が強かったです。
ただ、この今だから読みたい名作文学というコーナーを見てもう一度読みたいと思いました。
それは非常に分かりやすいあっちゃんの解説があったからです。
一つは、寓話として星の王子様をとらえるべきということ。
星の王子様では、王子様は6つの星を訪れた後に地球に来ます。
その6つの星では、それぞれの星で独特な人に出会います。
・自分の体面を保つことに汲々とする王
・賞賛の言葉しか耳に入らない自惚れ屋
・酒を飲む事を恥じ、それを忘れるために酒を飲む呑み助
・夜空の星の所有権を主張し、その数の勘定に日々を費やす実業家(絵本、新訳の一部ではビジネスマン)
・1分に1回自転するため、1分ごとにガス灯の点火や消火を行なっている点燈夫
・自分の机を離れたこともないという地理学者
wikipediaより
これらは人が陥りやすいものについての象徴ということでした。
詳しくは下の画像をご覧ください。
いわば、7つの大罪みたいなイメージです。
読む人の性格やこれまでの人生で、どの人に同感しどの人に嫌悪感を抱くのかということが全く異なります。
あっちゃんは自身のことを大様になぞらえていました。大物気取りの男は吉村だったかな。忘れちゃいました。
私が驚いたのは、学問が負のイメージを持っているということです。
今でこそ学問は推奨されるべき事柄ですが、すべての物事においてバランスが大切ということでしょうか。
話を星の王子様に戻しますがもうひとつのおもしろい解釈は、薔薇に対する解釈でした。
地球の砂漠に降り立った王子は、まずヘビに出会う。その後、王子は高い火山を見、数千本のバラの群生に出会う。自分の星を愛し、自分の小惑星の火山とバラの花を愛おしく、特別に思っていた王子は、自分の星のものよりずっと高い山、自分の星のバラよりずっとたくさんのバラを見つけて、自分の愛した小惑星、火山、バラはありふれた、つまらないものであったのかと思い、泣く。
泣いている王子のところに、キツネが現れる。悲しさを紛らわせるために遊んで欲しいと頼む王子に、仲良くならないと遊べない、とキツネは言う。キツネによれば、「仲良くなる」とは、あるものを他の同じようなものとは違う特別なものだと考えること、あるものに対して他よりもずっと時間をかけ、何かを見るにつけそれをよすがに思い出すようになることだという。これを聞いた王子は、いくらほかにたくさんのバラがあろうとも、自分が美しいと思い精一杯の世話をしたバラはやはり愛おしく、自分にとって一番のバラなのだと悟る。
wikipediaより
あっちゃんはバラとは愛情の象徴であり恋人のことだと述べていました。
そして運命の人にどのようにして出会うかということに話が展開されていきましたが、運命の人とは出会うわけではなく、その人に愛情を注ぎ、運命の人にしていく工程であると述べていました。
また、関根勉やミキティーは愛情の対象が恋人ではなく、子どもに向いていました。
やっぱり読む人によってとらえ方が異なるのが本のいいところで、それを深く掘り進めていく『今だから読みたい名作文学』のコーナーは素晴らしいと思います。
ただ、字を追っていくだけでは捉えきれない部分まで深く解説するのには通常の読書以上に労力が必要です。
それを実施するあっちゃんはやっぱり秀才だと思うし、それを短時間で学べるのは本当にいいチャンスだと思います。
こういうことをきっかけに本を好きになる人が増えてくれたらと思います!
すくなくともこのコーナーを見た人はきっと星の王子様が読みたくなったはずです!
私もあっちゃんの言っていたことを思い出しながら再読したいと思います!
来週もこのコーナーが続いてくれることを願ってやみません。
期待大です!
しくじり先生で紹介されていたのは岩澤さんの役だった気がします。
違っていたらすみません。
- 作者: アントワーヌ・ドサン=テグジュペリ,池澤夏樹
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2006/10/26
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多分、一番メジャーなのはこちらの内藤さんの訳だと思います。
- 作者: サン=テグジュペリ,Antoine de Saint‐Exup´ery,内藤濯
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2000/03/10
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続編も書きました。こちらも合わせてご覧ください。
動物の解放/この世界に溢れる種差別を知って欲しい。
2018年1月更新
絶対に読まなければいけないと思っていた本を読み終えました。『動物の解放』という本は1975年に初版が出版されて以来、世界におけるアニマルライツ運動の最大の画期となった本です。(ちなみに現代の状況に即して、今は大幅な改訂が加えられた2009年版が出版されています。)
この本がきっかけとなって多くの動物が救われてきたことは間違いありません。 特筆すべきところは、感情的ではなく論理的な倫理の要求から動物を解放すべきだと述べているところです。
この本について詳しく見ていきたいと思います。
ピーターシンガーという倫理学者
1946年オーストラリアに生まれる。
2名のアメリカ大統領を輩出したプリンストン大学の現教授。
専門は応用倫理学(倫理学の知識を利用して、倫理上の問題を提起・考察する学問)。倫理学者、哲学者と呼ばれることも。
ザ・ニューヨーカー誌によって「最も影響力のある現代の哲学者」と呼ばれ、タイム誌によって「世界の最も影響力のある100人」の一人に選ばれたほどの人物。
シンガーは動物の解放の中で、ペットを飼っていたことは無く動物を溺愛したことは無いと述べています。
そんなシンガーが動物を救いたいと思うのは、感情の面からではなく倫理的・道徳的な観点からです。そしてそんなシンガーの立ち位置がよくわかるエピソードが本書にはちりばめられています。
そのうちの一つが、動物好きの女性に「動物に興味をお持ちではないのですか?」と質問された際のことで、以下のように答えています。
私は苦しみと悲惨の防止に興味を持っているのだということを説明しようとした。私たちは恣意的な差別に反対しているのであり、ヒト以外の生物に対しても不必要な苦しみを与えるのはまちがっていると考えているということ、そして私たちは動物たちが人類によって、無慈悲で残酷なやり方で搾取されていると信じており、このような状況を変えたいと思っていることを話した。
シンガーは抑圧と搾取に終止符を打たなければならないと考え、基本的な倫理原則の適応範囲はヒトのみに限られるべきではないと考えています。
動物の解放
シンガーがタイトルに解放という言葉を使ったことには意図があります。
それは、解放という名前を付けることによってその他の解放運動(本書では、例として黒人解放運動を挙げています。)と動物解放運動を同列に置き、動物の権利主張のための動物解放運動を促進することです。
先述したとおり、この本が動物の権利を向上させてきたことは間違いのない事実です。
しかしながらシンガーは本書の中で、他の解放運動と比較して動物解放運動には多くのハンディキャップがあることも述べています。
最初の、しかももっとも明白は障害は、搾取されているグループが自らの受けている扱いに対して、組織的な抵抗を行うことが出来ないという事実である。私たちは自らのために弁ずることのできないグループのために代弁しなければならない。
もし黒人たちが自ら立ち上がって要求することができなかったと仮定すれば、平等な権利を得るためにはもっと長い時間がかかっただろう、ということを考えてみれば、読者の皆さんにもこのハンディキャップがいかに深刻なものかわかっていただけるだろう。
動物解放運動の前途にとってさらに重要なことは、抑圧側(ヒト)のほとんどすべての成員が抑圧に直接関与しており、自らが受益者であることを知っているという事実である。
論理的に動物たちの置かれている立場と我々の立場を対比させ、その問題点を浮き彫りにしています。
また、別の場所でシンガーは動物解放運動のためには圧倒的な利他的な心が必要だと述べています。この辺りが人種解放運動などと比較して難しい部分です。
なぜなら、どれだけ動物を虐待したとしても、それらの不利益は全て動物たちが被ることとなり、他方で人が被る不利益はほとんどないからです。
動物虐待を維持するものは、無関心よりもむしろ無知である。
動物の解放の序文を紹介します。
2008年に何千万人ものアメリカ人が、夕方のテレビのニュースに登場した、あまり体調が悪くて歩けない牛が蹴られたり、電流を通じた棒でショックを与えられたり、目を棒でつつかれたり、フォークリフトで押しのけられたりして、屠殺され食肉加工されるために追い立てられれて行くところを描いた隠し撮りビデオ映像を恐怖と不信感を抱いて見つめた。
これやその他の動物虐待隠し撮りビデオによって喚起された広範な嫌悪感は、米国における大規模で制度化された動物虐待を維持するものが、動物への無関心よりもむしろ無知であることを示唆している。
我々は、スーパーやレストランに並ぶ肉や卵がどのような生産工程を経ているのか、基本的には無知であり無知であるが故に無関心です。なぜならそれらの環境は消費者にはあまり目に見えないように巧妙に隠されているからです。
例えばスーパーで売られている日本の普通の値段の卵を産む鶏は、その生涯をA4のコピー用紙程度の場所で過ごしています。興味のある方はバタリーケージ等で検索してみてください。(ショッキングな写真が掲載されていることも多いので、それらを覚悟した上で検索していただければと思います。)
話が少しそれましたが、アメリカでの動物解放のエピソードから考えると、一度動物に対する虐待が目に触れさえすれば少なくとも無関心ではなくなることが示唆されているのです。好意的に解釈すれば動物福祉にこれまで興味のなかった方でも、知る機会さえあれば動物の解放の大きな原動力になりえるということです。
そして、これらのパワーを信じているのが一部の過激な動物愛護団体だったり、ショッキングな写真を掲載するHPなのだと思います。彼らの言い分もわかるので私は彼らを責めることはできませんが、『知ること』と『関心を持つこと』の間には少し隔たりがあると思います。
ここの溝を埋めるのが少しでも動物福祉を向上させたいと思う人々の役割だと思います。そしてそのためには過ぎた暴力は逆効果なのではないかと思うのが私の考えです。
『無知』を『関心』に持っていくために考え続ける必要があると思います。
種差別という言葉だけは知っていてほしい
本書において最も重要なキーワードは『種差別』という言葉です。耳慣れない言葉だと思いますが是非知っておいてください。
種差別とは『人』と『それ以外の動物』を種が違うという理由でのみ差別することです。
殺処分、実験動物、畜産、動物園動物、猟、毛皮。
そのどれらをとっても動物たちがおかれている立場は非常に苦しいものがあります。そしてその動物虐待の全ての根底に存在するのは種差別という概念です。
シンガーが本書の結論部分で述べていることを記載します。
本書の核心は、その属する種のみを理由として動物を差別することは偏見の一形態であって、これは人種に基づく差別が不道徳で擁護しえないのと同じように、不道徳で擁護しえないという主張である。
その生命に対する道徳的配慮は種や知性に依存するのではなく、その生命が苦しむ能力を持っているかどうかによって判断すべきだとシンガーは述べています。
そして、明らかに脊椎動物は苦しむ能力を有しています。
長い地球の生命史の中で、人類だけが苦しむ能力を進化させたなんてことはあり得ません。進化の系譜を辿っていけば苦しむ能力も喜怒哀楽も道徳観も人類よりも先に出現した動物によって発現したものです。それは科学の観点からも証明されている事実です。
同じ部分も異なっている部分もきちんと正視して動物たちへの理解を深めていくことが種差別撤廃の一助になると私は信じています。
おわりに
種における差別は撤廃し、動物を開放すべきだというのがシンガーの論理です。
動物福祉や動物愛護運動というと、かわいそうな動物を救いたいという思いや愛情をきっかけとすることが多いのではないかと想像しがちですがシンガーは違います。
(本書で私は)情緒や感情よりもむしろ理性に訴えてきたのである。私がそうしたのは、他の動物に対するやさしい感情や敬意の感情の重要性に気付いていなかったからではなくて、理性に訴える方がより普遍的で、うむを言わさぬものだからである。
私は同情と思いやりに期待するだけで、スピーシズム(種差別)のあやまりについて多くの人を説得することができるとは思わない。
シンガーの圧倒的に厳格な論理的・倫理的な動物解放の提唱は目を見張るものがあります。その論理の激しさ故に批判されることもあるようですが、動物解放運動に興味がある人にとって必読の書だと思います。
私が今回紹介したのはシンガーの論理のほんの一部で、シンガーの論理の展開や切り口に関してほんの少ししか紹介できていません。それでも、もし私の拙い文章でも興味を持っていただけた方は是非本書を手に取っていただければと思います。
動物解放運動や動物福祉にこれまでほとんど興味が無かった方もここまで読んでくださってありがとうございました。私からのお願いですが、どうかこの世界に種差別が溢れていることを知っていただき、何か一つでも、何か1ミリでも動物たちのことを思える行動をしていただけるとこれに勝る喜びはありません。
共に進んでいきましょう。
参考文献
amazonのレビュー欄にも、素晴らしいコメントが寄稿されています。
この本の理解の一助としてそちらもあわせてご覧ください。
また、私の尊敬する方も過去にこの本のことを記事にされております。
幅広い知識をもとにどのように動物解放運動が広がりを見せたのかということを非常に分かりやすく解説されています。
是非、こちらの記事も参考にしていただければと思います。