満月なのでご紹介します。

社会問題(特に動物問題)と読書のブログ

瀧本哲史さんの『君に友達はいらない』がきっかけで、無知と貧困について色々勉強した。

瀧本哲史さんの君に友達はいらないを読み終えました。

君に友だちはいらない

君に友だちはいらない

 

 

就職前の学生や若いビジネスマンに是非読んでいただきたいと思えるだけの素晴らしい内容でした。

 

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今回は、本書の本流ではないんだけど、私の心に残った言葉とそこから感じたことを紹介します。

(本流の部分も素晴らしいので、私のこの後の内容が気に入らなくても絶対に読んでみてほしい。)

 

まずは心に残った言葉から。それは永山則夫という死刑囚が獄中で述懐した以下の言葉です。

「事件がおきたのは自分が無知だったからだ。無知なのは貧乏だったからだ。」

 

永山について簡単に紹介すると、1965年永山は集団就職して上野駅に降り立った。永山少年は父母に捨てられ食べ物にも不自由した故郷で犯した、たった一度の非行歴の発覚に怯えて職を転々とし都会の孤独と貧困の底で喘ぐ。その後、彼は4人のタクシードライバーをピストルで射殺し、死刑囚となった。

永山は死刑執行までの獄中でマルクス等を含む様々な書物に触れ、文章を書くことで自分を見つめるすべを見出したとされており、実際に小説や手記等が出版されている。

出版された書籍の印税は遺族に渡したいと述べていたそうだ。(すみませんこれが実際に遺族の方に渡されたのかは私は調べれていません。)

 

この一連の事件および永山の言葉を紹介した後に、瀧本哲史さんはこう締めくくります。

貧困こそが人間から人間性を奪い、人を不幸にする最大の原因となるのだ。

 

一人の死刑囚の言葉にどれだけ真摯に向き合う必要があるのか、このことは良く考えなくてはいけないと思います。

ただ、私はこの言葉を発した人間がどのような人であれ、無知なのは貧乏だったからだという言葉にはある程度の真理が含まれていると感じました。

 

だからこれを受けて私が考えていきたいと思ったことが二つあります。

一つは貧困について考えること。これほどまでに科学技術が発達して国が豊かになっているのに、貧困はどこから生まれるのか。

もう一つは、現代における無知と貧困の関係性を知ること。永山が生きた時代と現代は全く異なっているはずで、例えば、現在ではスマホ一つさえあれば何だって調べることが出来ます。図書館だって様々な自治体にあります。書籍の中にはハーバード大学の授業と称するものも複数出版されています。

なので、この環境における無知はどのようにして生まれるのか知りたい。

 

無知について考えるためにこの本は読みたいと考えています。

無知の涙 (河出文庫―BUNGEI Collection)

無知の涙 (河出文庫―BUNGEI Collection)

 

 

今回は、君に友達はいらないという本を本流とは異なる角度から紹介しました。

いろんなことに考えが巡る素晴らしい本でした。

 

2018年1月追記

この記事を書いたことすら忘れていたのですが、このあと私は貧困のことも教育のことも勉強しました。

実際には、永山則夫の本は読まなかったんですが、参考にした本を紹介します。

 

少し古い本ですが、実際に日本にある貧困の現状はその凄惨さを知るにはこの本が良かったです。

著者の湯浅誠さんは現在もなお、貧困と戦っている素晴らしい社会活動家です。

反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)

反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)

 

 

貧困とはちょっと異なりますが、学校や図書館がない途上国に、学校や図書館を新設していくNPOの話。

勉強する施設環境という点において、日本がいかに恵まれているかを知れる一冊。でも、箱があるだけじゃ勉強しないのも事実。

マイクロソフトでは出会えなかった天職 僕はこうして社会起業家になった

マイクロソフトでは出会えなかった天職 僕はこうして社会起業家になった

 

 

こちらも教育の話。自分と同世代の方が途上国の教育問題をITの力を使って解決していくのは、素晴らしいと思うと同時に少し嫉妬してしまった。

それほどまでに、彼らが積み重ねていることは素晴らしい。 

「最高の授業」を、世界の果てまで届けよう

「最高の授業」を、世界の果てまで届けよう

 

 

上に紹介したものだけではないですが、瀧本哲史さんの本が(少し)きっかけになって読んだ本です。

紹介した本はどれも自信を持ってオススメできる本です。

もし、気になる本があればそれらも合わせて読んでみてください。

『君の脾臓を食べたい』をオーディオブックで読んだら違う良さが見えた。

私は車での移動が好きではない。なぜならば本が読めないからだ。

 

しかしそれを解決する方法があった。

そう、オーディオブックである。

オーディオブックで有名なのはオトバンクという会社とそれの関連アプリであるfebeだと思う。

www.otobank.co.jp

www.febe.jp

 

オトバンクはもともと視覚障害者のことを思って設立されたようである。

私もオーディオブックというのは聴覚障害者のためだけのものだとなぜか思い込んでしまっていた。

でも、それでは車に乗っている時間がもったいないのでこの度晴れてオーディオブックに挑戦した。

住野よるさんの『君の脾臓を食べたい』という小説が私にとっての初のオーディオブックであるが、それが思いのほか良かったので紹介したいと思う。

(この先はオーディオブックの紹介であり、君の脾臓を食べたいのネタバレはしないので安心して読み進めて欲しい。)

 

君の脾臓を食べたいを選んだ理由。

初めてのオーディオブックは絶対に小説にしようと思っていた。君の脾臓を食べたいを選んだのは良く書店で見かけたことと、febeで割引されていたことが要因だ。もうひとつダウンロードに悩んだのが中島敦の三月記だが、初めてのオーディオブックは簡単な方が良いだろうと感じたので中島敦は次回にすることにした。

その他に、君の脾臓を食べたいを選んだ理由は特になく、作品のことも著者のこともほとんど知らなかったが、結果としてこの小説を初めてのオーディオブックに選んで良かったと感じている。

以下に、君の脾臓を食べたいを通して見えてきたオーディオブックと目で読むタイプの小説(今後、通常の小説と記載する)について述べていきたい。

 

違い① 声がある。

声があるということの効力を私は侮っていた。

通常の小説では声すら頭の中でイメージするものであるが、オーディオブックではそれが許されない。ナレーターがイメージするキャラクターの声を受け入れざるを得ない。されに言えば、そのナレーターの声を通じてナレーターがイメージするキャラクター像が簡単に入ってきてしまう。

これは通常の読書を楽しんできた人にとってはいささか窮屈に感じる点だと思う。また、それに拍車をかけるのがナレーターが声優さんということだろう。

君の脾臓を食べたいは高校生の男女のちょっと変わった生活を描いていく小説である。主人公の男の子は鈴村健一さんが、もう一人の主人公の女の子は堀江由衣さんが演じられている。私は彼らの名前だけを見てもどれだけ凄いのかわからなかったが、wikipediaで見る限り両者ともにトップレベルの声優さんなのだろう。鈴村健一さんは、銀魂の人気キャラクター沖田総悟を、堀江由衣さんは化物語の羽川翼を演じている。私でも知っている有名アニメの花形のキャラクターだ。

すなわち彼らは日本のアニメをけん引してきた声優であり、声を通してキャラクターに息吹を吹き込むことに長けている人達である。なので良くも悪くも声優さんのイメージするキャラクターが簡単にイメージできてしまう。

 

正直、君の脾臓に出てくる女の子の声はかわいらしいアニメ声過ぎるきらいがある。絶対に私が通常の読み方をした場合にはイメージしなかった声である。男の子も同様に昨今のアニメに良く見られるやれやれ系(受動的に物事が進んでいきそれに対する諦観を持ち過ぎている系主人公のこと)を演じすぎている気がする。

だから、この小説を通常通り読んだ場合とオーディオブックで聴いた場合とでは全く異なる読み方・感じ方になっているはずだ。

 

声があるということが私が感じるオーディオブックと通常の読書の最大の違いだと思う。ただ、単純に私はこのことが嫌わけではなくむしろ楽しんでいる。本当に好きな作家さんの小説であれば絶対に最初は通常の読み方をしたいが、特に思い入れのない作家さんや(悪く言えば)あまり期待していない作品に関してはオーディオブックで楽しむのもアリだと思う。

また、日本に数多くいるであろう声優ファンの人がオーディオブックをきっかけに本を好きになってくれたら何よりうれしい。

 

違い② BGMがある。

ここまで書いただけでもオーディオブックは小説を単純に耳で聞けるものにしたものというよりも、映像のない映画、ラジオに近いものだと考えられる。

それを後押ししているのがBGMの存在だと思う。

オーディオブックには当然のようにBGMがあった。今のところ僅かにピアノの音が聞こえるくらいに留まっているが、もしかしたらボーカル入りの音楽が登場する作品もあるかもしれない。

あと、君の脾臓を食べたいに関して言えば焼き肉に行くシーンがあるが、そこでは焼き肉を焼く音が聞こえてくる。

これらのBGMも制作者サイドがオーディオブックをより良いものにしようという意図を持ってつけられているもののため、通常の読書とはことなる景色を読者の頭の中に描かせる作用が考えられる。

だが、これも文字だけを読む、あるいはセリフだけを聞くという読書法がどうしても苦手という人には役に立つことだと考えられる。もちろんそういった人にとっては、楽しい時には楽しい音楽を、悲しい時には悲しい音楽を流すことでイメージのフォローさえもできると思う。

 

違い③決められた読書スピードがある。

君の脾臓を食べたいはオーディオブックにして9時間5分の小説である。普段、本を読む人にとっては長すぎるくらいに長い時間になる。

febeの昨日の中には読書スピードを変更できる機能(1.0~4.0倍速まで)があるが、4倍なんて聞けたものではない。2倍だって正直早いので、私は1.2倍速で読んでいるがそれでもこの小説を読み終わるのに7時間半程度かかってしまう。

普通に考えたらやっぱり長い。映画よりもよほど長い。まぁこればっかりは諦めるしかないと思う。そもそも私は車内という隙間時間に聞く程度に考えているので時間の長さについては気にしていない。むしろ、通常の読書とは異なる時間の流れから見えてくることもあるだろう。

また、読書習慣のない人にとっては一定時間流すだけで読破できるというのはありがたいのではないだろうか。

 

違い④ 文字が無い

これも結構驚かされた。君の脾臓を食べたいという小説には、病気の女の子が書いた『きょうびょうぶんこ』という小説が登場する。私は最初、病に狂うという意味の『狂病文庫』かと想像力を働かせた。読者によっては『今日病文庫』などとイメージされる方もいるかもしれない。ただ、正解は病と共にいるという意味の『共病文庫』だった。これは物語の流れから解釈する、あるいは通常の小説にて確認するしか方法がない。

音を通して言葉が頭に入ってくるのにも関わらず、言葉が頭の中でもやもやしたまま残ってしまう。これも良く言えばオーディオブックの楽しみ方なのだろう。

確実に言えることは文脈を適切に追っていく能力と想像力がついていくのは間違いないと思う。

 

まとめ

読書が好きな人はオーディオブックを試した方が良い。通常の読書とオーディオブックの違いに気付き、それぞれの良さを感じ、読書の幅が広がること間違いなしだからである。スマホとアプリがあればそれ以上の機器は必要ない。また本の金額も高くなく、kindleと同じくらいをイメージしてもらえればよい。febeへの登録も無料である。

実用書はまだ読んでいないので評価しようがないが、物語のようにイメージや流れが重要でない部分もあるので、オーディオブックにより適している可能性もある。こちらも今後試していくが、きっと問題なく読む(聞く)ことができるだろう。

また、何度か述べたが読書が苦手な人にこそオーディオブックは適している可能性がある。これまでにもオーディオブックは聴覚障害者の方をはじめとする多くの人たちの幸福に貢献してきたと思うが、これから、オーディオブックが新たな本好きを生み出してくれることを願ってやまない。

 

君の膵臓をたべたい

君の膵臓をたべたい

 

君の脾臓を食べたいも良く売れているだけあって面白い。初めてのオーディオブックにおすすめである。

【君に友達はいらない】ブログによるフリーランスを目指す人に絶対に読んでおいて欲しい本

今回、紹介するのは瀧本哲史さんによる『君に友達はいらない』という本。

君に友だちはいらない

君に友だちはいらない

 

先に瀧本さんのことを少しだけ紹介すると、瀧本さんの職業はエンジェル投資家というものだ。

エンジェル投資家というのは、個人的に自分の「持ち金」を、「事業アイディア」と「創業者」しかいないようなきわめて初期ステージのベンチャー企業に投資するという仕事だ。

 

さて、挑戦的なタイトルの『君に友達はいらない』という本について紹介していきたいと思う。

本書は基本的には仕事や目標を達成するに当たってどのような『仲間』が必要なのかということについて述べられていく。

ある時には、黒沢明の7人の侍を例に出したり、ワンピースの仲間模様を分析したりすることで、今の私たちにどうあるべきかということを示してくれる。

 

しかしながら、私が今回フリーランスを目指す人に紹介したいのはその仲間についての本流の話ではなく、本書の中で余談として語られる部分だ。

以下に紹介していく。

 

昨今ではノマドとやフリーランスと称する働き方が若い人たちの間でもてはやされる風潮がある。

・・・

だが本質的にノマドやフリーランスは「強者」にのみ許される働き方であることに注意しなければならない。

そもそもノマドの語源でもある「遊牧民は」、人類が狩猟採集の時代の後に、農耕と牧畜を生み出して(オアシスに)定住して生活するようになってから発生した暮らし方だ。牧畜によって暮らす集団が一箇所に定住し続けると、やがて家畜がその周辺の牧草を食べつくしてしまうために、継続的に家畜を大量に養うことが出来ない、そのために家畜を放牧しながら、牧草を求めて移動する生活様式が生まれた。これが「ノマド」の起こりである。

だが、家畜を放牧しながら、移動して暮らすことには大きなリスクもある。家畜を柵で囲っておくことが出来ないために、オオカミなどの害獣に家畜を襲われることもあるだろうし、泥棒に家畜を盗まれる危険にも常にさらされるからだ。

なので、著者はノマドになるためには安定したオアシス(会社)を離れられるだけの牧畜のスキルや肉体的精神的強さが求められるという。

これが、ノマドやフリーランスが「強者」にのみ許される働き方という第一の理由。

また組織を離れたがる人が見過ごしがちなのが、組織にいるときに業務を通じて自然と入ってくる情報や、得られる人脈の価値だ。フリーランスになると自分の身の回りの範囲のこと、今手掛けている仕事の情報しか入ってこないために、自分が働いている業界で、どんなものが求められていて、何が時代遅れとなりつつあるのか「鼻」がきかなくなっていく。この感覚の鈍化は、1年2年では、はっきりとは分からないが、数年経つと取り返しのつかないギャップになることがある。

これが第二の理由。

また「フリー」という肩書で働いていても、本当に「フリー=自由」であるかと言えば、そうとは言えない人もすくなくない。フリーの物書きのなかには、読者の期待に振り回されて、どんどんセンセーショナルなことを書いていくうちに自滅していったり、いつの間にか企業の「謎の宣伝等」になっていったりする人がいる。逆説的だが、「本業」を別に持っている書き手の方が、真に自由にものを書けるということが少なくないのだ。

これが第三の理由。

最後に著者はこう結論付ける。

ノマド、フリーランスとして働きたいのであれば、自分が今いる会社を辞めて、それでも自力で本当に競争力があるサービスを提供できるか、それとも企業にとって「使い捨てできて都合のよい期間工のような人」で終わるか、客観的に見極めることが重要だろう。

 

私は、動物福祉ということを多くの人に認知してもらうためにブログを書いている。

正直、今動物たちが置かれている状況に関しては多くの人が目をそむけたいと思っていることだろうし、動物福祉の本を読むのは辛いし、それをブログで紹介しても検索流入なんてほとんどない。

こんな私がフリーランスになれば収益のことばっかり考えて動物福祉のことなんか書いてられないのは簡単に想像できる。

 

きっと、私が今フリーランスになったら、「20代で絶対に読むべき漫画をランキング形式で紹介するよ」とか「掃除嫌いの人にお勧めの電化製品はこれだ!」みたいなタイトルの記事を量産すると思う。(別にそれらを書きたくて書くのであれば問題ない。)

そして、効果的に買ってもらえるような商品紹介の配置を必死に考えたりする。

それは、私の描くフリーランスの理想の姿ではないし、ブログを始めた多くの人にとってもそれは理想の姿ではないと思う。

 

フリーランスになって適当にお金を稼いで、のんびりできればいいという人はフリーランスを目指してもいいと思うが、何か伝えたい事があるならばフリーランスはお勧めできない。

そのことが非常に論理的に記載されていたので紹介した。

 

上に紹介した本書の内容はどこかの会社に務める偉い人が書いた本ならば反発したくなる気持ちも湧いてくるとは思うが、本書はエンジェル投資家によって書かれている。

繰り返すが、エンジェル投資家というのは、個人的に自分の「持ち金」を、「事業アイディア」と「創業者」しかいないようなきわめて初期ステージのベンチャー企業に投資するという仕事だ。

すなわち、多くの場合、事業アイディアのみを持つ若者の味方になって若者のために尽力している人が書いた本である。

だから、きっと素直な気持ちで読めるはずだ。

もし、フリーランスを目指すことを検討している方がおられたら、絶対にこの本は読んでおいたほうが良い。

 

君に友だちはいらない

君に友だちはいらない

 

 

エンジェル投資家については、「大様達のヴァイキング」という超面白い本があります。エンジェル投資家についていまいちイメージがわかなかった人はこの本を読めば絶対にわかります。そんな生真面目な気持ちじゃなくても面白い本なので、是非こちらも読んでみてください。

王様達のヴァイキング 1 (ビッグコミックス)

王様達のヴァイキング 1 (ビッグコミックス)

 

 

義務を果たさない人には権利が与えられないという考え方はどう考えてもまずい

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前に上司に「有給を下さい」と言ったら、「(仕事という)義務は果たしたのか。義務を果たさない人に権利はない」と冗談で言われたことがある。

まぁ、上司もそのセリフが言いたかっただけみたいで、普通に有給はとれたし私も気にも留めていなかった。

良く聞くセリフだなー。仕事しっかりしないとなー。ってな感じで。

 

でもこの考え方っておかしいと最近気付いた。

 

 

義務を果たした人にのみに権利が与えられるというならば、白人にバスの座席を譲らなかったローザパークスは何を行えば座席に座る権利が得られたのだろうか?

かつての奴隷は何を果たせば選挙権を得ることが出来たのだろうか?

子どもが不当な体罰を避けるためには(さらに言えば不当に殺されないためには)何をすべきなのだろうか?

女性がすべての職に就くためには何をすれば認められるのだろうか?

動物たちが彼らの本能を満たした生活を送るためには、動物たちは人に何かしらの貢献をしないとだめなのだろうか?

同性愛者の権利は?少数民族の権利は?

 

こう考えていくと権利を得るために義務は必須ではないと思えてくるのではないだろうか。

だって、義務の対価が権利というならば上述したような権利はきっとずっと手に入れられない。なぜなら義務のハードルが高すぎたり、そもそも義務も権利も与えられていない場合があるからだ。

だから義務にこだわりすぎる必要はないと思うし、義務を果たしていなくても権利を主張する権利は誰にでもあると思う。

 

もちろん、いたずらに権利のみを主張することが正しいとは思わない。それをしてしまっては信頼感が失われ、周囲から人が離れていく危険性だってある。

一部の過激な人達の権利の主張がその問題全体にネガティブなイメージをつけてしまうのは多くの人がイメージできる、あるいは実際に感じていることだと思う。

 

権利を主張し、正当に得るためには周囲の人を巻き込めるような説得力も必要だろうし、理想を押し付けるだけでなく妥協点を模索する能力も必要だと思う。相手が何を求めているかを知る能力も必要だろうし、何が効果的かを判断する必要もある。我慢だって必要だ。

だから権利を勝ち取ることは簡単なことではないということは肝に銘じていてほしい。

ローザパークスやガンジーは非暴力を貫いたとはいえ、その人生はきっと闘いの連続だったし、権利を勝ち取るために様々な問題に立ち向かっていったことだろう。

それらが今の世界をどれだけ美しいものにしているかはもはや述べるまでもないと思う。

 

だから、権利を得ようとする気持ちはいつだって忘れてはいけない。

その気持ちが黒人の権利や女性の権利、動物の権利や労働者の権利を拡大させてきたはずだから。

繰り返して言うが、権利を得るために義務は必須ではない。

 

上司のたわいのない冗談からこんなことまで考えてしまった。

義務なんてくそくらえ。

この気持ちが世界を変えるかもしれない。

 

 

暴力の人類史 下

暴力の人類史 下

 

上述したような比較的弱いものに対する権利がどのように勝ち取られていったのかということについては、暴力の人類史の下巻に詳しく載っています。というかこの本以上のものは今のところ私は知りません、下巻から読んでも問題ないので興味のある方は是非手に取ってみてください。

【感想】瀧本哲史『ミライの授業』は14歳のための冒険と勇気の本だった。

ミライの授業という本が素晴らしかったので紹介します。

ミライの授業

ミライの授業

 

 

 

瀧本哲史さんとは

この本の著者の瀧本哲史さんと言えば、『僕は君たちに武器を配りたい』という本で有名な方です。

僕は君たちに武器を配りたい

僕は君たちに武器を配りたい

 

 

『僕は君たちに武器を配りたい』という本は、社会で戦っている社会人に武器を渡したいという意思の強い本です。

この本も社会人にとっては勇気の書なのですが、今回紹介する『ミライの授業』という本は社会人ではなくて、14歳の少年少女に向けて書かれた本になっています。

 

ミライの授業の冒頭

冒頭はこのように始まります。

14歳のきみたちに、知っておいてほしいことがある。

きみたちは、未来に生きている。

そして大人たちは、過去を引きずって生きている。

きみたちは未来の住人であり、大人たちは過去の住人なのだ。

それは比喩ではなく、事実としてきみたちは、未来に生きている。

その理由を、簡単に説明しよう。

未来には、ひとつだけいいところがある。

それは、「未来は、つくることができる」という点だ。

歴史を振り返ってみれば、いつの時代にも「未来をつくる人がいた。」さびだらけの古い鉄扉をこじ開け、新しい未知の先頭を歩み、時代を少しだけ前に進める人がいた。

彼らを「安い人」や「ロボット」で代用することはできない。

なぜなら彼らは、他の人では絶対にできないこと、自分にしかできないことに取り組んで、古い世界を一新させてきたからだ。誰かが舗装した道路を進むのではなく、自分で道を切り拓き、未来を切り拓いてきたからだ。 

だからきみたちも、未来をつくる人になろう。

 

大人の僕が読んだって素晴らしい文章です。子どもたちを勇気づけるためにも、こういう言葉を子ども達に届けてあげたいと思います。

 

司馬遼太郎の21世紀に生きる君たちへとの類似

私はこの語り口を見て、司馬遼太郎の21世紀に生きる君たちへという本を思い出しました。

21世紀に生きる君たちへという文章の中でも、

私が持っていなくて、君たちだけが持っている大きなものがある。未来というものである。

という、このミライの授業とほとんど同じ内容が書かれています。似ているのは内容だけでなく、語り方もそっくりです。

21世紀に生きる君たちへという本も12歳である小学6年生に向けて書かれた本です。子どもたちときちんと向き合ってきた人たちにとっては12歳や14歳というのは非常に重要な点だという共通認識がおそらくあるのでしょう。

池田晶子さんも14歳に語りかける本を出されています。

生きていく上での優しいヒントがたくさん詰まった本ー『14歳からの哲学/池田晶子』 - animal reading

 

話はそれましたが、21世紀に生きる君たちへは非常に簡潔な短い文章になっています。一度は読んでいただきたい文章です。

対訳 21世紀に生きる君たちへ

対訳 21世紀に生きる君たちへ

  • 作者: 司馬 遼太郎,ドナルド・キーン,ロバート・ミンツァー
  • 出版社/メーカー: 朝日出版社
  • 発売日: 1999/10/22
  • メディア: 単行本
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未来をつくる5つの法則

瀧本哲史さんは本書の中で未来をつくる法則に5つのことを挙げています。

法則1:世界を変えるたびは「?」からはじまる

法則2:冒険には「?」が必要だ

法則3:一行の「?」が世界を変える

法則4:全ての冒険には「?」がいる

法則5:ミライは「?」の向こうにある

それぞれの「?」にはそれぞれ異なる言葉が入ります。ミライを作るために何が必要なのかは是非皆さま自身の目で確かめてみてください。

 

偉人たちのエピソード

その「?」の内容はこれまでに道を切り開いてきた偉人の行動になぞらえて紹介されていきます。

例えば重力を発見したニュートンや、ハリーポッターの作者のJ.K.ローリングのような有名な偉人が紹介される一方、伊能忠敬のお供をした高橋至時や鉄の女サッチャーの夫のデニスなど比較的無名の偉人の冒険が記されています。

本書はわずか250ページの中で20人の偉業を説明されています。子どもにとってはちょうど良い分量だと思います。ただそれでも偉人たちが何を成し遂げてきたのか非常にわかりやすい文章になっています。

 

子どもの頃にこの本を読みたかった

14歳の頃にこんな本が読めたらどんなに幸せだったかと思います。

だから近くに14歳の子どもがいる大人や、小中学生の子どもが周りにいれば、是非この本をプレゼントしてあげてほしいと思います。

私は、子どもたちこの本を読んでわくわくした気持ちを抑えきれないのが目に浮かびます。だって、この本には子どもを子ども扱いせず、子どもたちに夢とか希望とかそういったものを伝えることのできる数少ない本だからです。

 

また、勉強があまり好きではない子どもにもぜひ読ませてあげてみてほしいと思います。

この本では、私たちが学んでいるものの正体を「魔法」だと説明しています。例えば、スマホなんかも魔法の結晶であり、学校で学ぶことは魔法の基礎を学ぶことなのだと教えてくれます。

なぜ勉強が必要なのか。いい学校に入るとかそういうことではないことで、子どもにきちんと説明することは間違いなく大切です。そして、そのように子どもが納得してくれればその子はきっと勉強に対して今までと違った考え方を持てるでしょう。

 

大人のためのミライの授業 

そして、この本は大人にも向けられた本です。

なぜなら本書に登場する偉人たちのほとんどが大人になってから偉業を達成しています。

彼らが大多数の大人と違うのは世界を拓く冒険心に溢れていたこと、そして、先に紹介した世界を変える5つの法則を持っていたことです。

逆に考えればそれらさえ持つことができれば、大人だって未来を変えることが出来ると示しています。

日本地図を作った伊能忠敬は、50歳から学問の道を志しました。

緒方貞子さんは女性として初めて、そしてアジア人として初めて、国連の難民高等弁務官に選ばれた女性です。緒方さんが難民高等弁務官として国際問題の最前線で戦うこととなった時、緒方さんは63歳でした。

 

彼らと同じような道を私たちだって歩むことが出来ます。

今の私にはかつて14歳だった私たちが持っていなかった知識と経験があります。それらだってかけがえのないものです。

だから私は14歳の私に負けるわけにはいきません。

そのためにも常にフレッシュな気持ちでいて、生きていく中で感じる違和感を大切にしていきたいと思います。

そんな気持ちにさせてくれる素晴らしい本でした。

 

ミライの授業

ミライの授業

 

 

 

どうすれば進化の過程で毒を獲得できるのか

ワンピースのマゼランといえばドクドクの実の能力者の毒人間。

彼を見ていて思ったのですが、後天的に毒を獲得するってどういうことなのでしょうか?

毒晴れてるけど基本的にはタンパク質だったりするみたいなので、その大元は遺伝子になるばず。

となると、遺伝の際の遺伝子のエラーが毒の獲得に直結していると考えられますよね。

病原性大腸菌のO-157がこんな感じなんだと思う。

でも、他方で昔っから日本人の食卓に潜り込んで、種を存続させることに成功させた(海外と大阪ではまだ成功していない)納豆菌が毒性を持ったなんてことは聞いたことがない。

 

話はすこしそれるが、私は大学院での研究対象が納豆菌の仲間の枯草菌だった(学術名はBacillus subtilisであり、納豆菌の学術名はBacillus subtilis natto)。実はこの枯草菌は大腸菌の次くらいに研究されている非常に有名な菌で、この生物の遺伝子組み換えによって世界に溢れる様々な有用物質が生産されていたりする。

有名すぎて枯草菌学会なんてのも昔にあったみたい。それで、そういった会議では『枯草菌は古くから人と共に歩んできており、毒素を発生させないので安全な菌である』というフレーズをよく耳にする。

理由はよくわからないが枯草菌も納豆菌も安全ということは学者の証言でもある。

 

こうやって考えると、大腸菌のような後天的に毒素を獲得できる生物はもともと毒素の遺伝子を持っているが、それが発現していないだけであり、遺伝子のエラーによってその眠っていた遺伝子が機能するようになるという考えが正しいような気がする。

他方、納豆菌のような生物は毒素に繋がるような遺伝子を全く持っていないんだろうと思う。

だから基本的には毒に繋がる遺伝子を持たない生物はずっと毒を持たないのだろうと思う。

 

微生物の特徴の一つは、その世代交代の驚異的な早さ(枯草菌は好条件下であれば20分に一回のペースで細胞分裂できる。)であり、そのことで遺伝子のエラーが起こりやすくなっている。

人は一生のうちに数回しか子を産まないことを考えると、同じ期間で考えたときに遺伝子のエラーの起こりやすさに天と地ほどの差があることがわかると思う。

 

ただ、私は私のクローンを1000万回でも何回でも世代交代させ、遺伝子のエラーを引き起こしたとしても、自分が毒を持つとは思えない。

キルアみたいに毒を接種し続ける人種がいれば、その種族は毒を発生できるようになふのだろうか。

 

ちゃんと調べればすぐにわかるようなことを、だらだらと考えてしまった。

八重洲ブックセンターに平積みされていたこの本でも読んでみようか。


 毒々生物の奇妙な進化

毒々生物の奇妙な進化