満月なのでご紹介します。

社会問題(特に動物問題)と読書のブログ

池田晶子『14歳からの哲学』は考える能力を身につけるための素晴らしい本だった。

八重洲ブックセンター本店という東京駅を代表する私の大好きな書店があります。

 

以前そこを訪れた際に没後10年池田晶子ブックフェアという催しが開催されていました。

 

社会科学に関心のある私としては池田晶子という人がどんな人かそのときから気になっていたので、14歳からの哲学という本を購入しました。

その本が素晴らしかったので今回は紹介したいと思います。

f:id:caffeyne:20170325093213p:plain

 

14歳からの哲学入門

池田晶子氏は哲学者、文筆者として紹介されることが多いですが、なんといってもその特徴は若者に向けて書かれた平易な文章です。

本書は14歳に向けて書かれた本ということだけあって、非常に優しい言葉遣いで語りかけるように書かれています。。

しかしながら、書いてあることは決して子どもを侮ったようなことではありません。子どもも立派な大人だということを考えながら書かれた本ということがよくわかるような内容になっています。

おそらく池田晶子氏が望んだのはこの本を100%理解することじゃなくて、この本を通じて普段考えないことを意識するようになることだと思います。

それを本文を紹介しながら伝えていきます。

 

メディアと書物

(テレビについて)人が死んだりビルが倒れたりしている映像を見ることは、君にとってどんな意味があるかしら。

衝撃的、刺激的、つまり見たいからみているということだね。これは、テレビが無かった時代に人がよその火事を見に走る心理と同じ。つまり野次馬根性だ。でも、他人の不幸を刺激にするのはあまりいい趣味じゃない。その証拠に、(刺激的な番組の)次に始まる下品なお笑い番組なんかを見て、平気で人は笑ってるだろ。戦争からお笑いまで、全部が一律に電波で流されるから、人は、大事なことと大事でないことの区別がつかなくなっちゃうんだ。

情報は変化するものだけれども、知識というのは決して変化しないもの、大事なことについての知識と言うのは、時代や状況によっても絶対に変わらないものだということだ。 

賢い人々が考え抜いてきたその知識は、新聞にもネットにも書いていない。さあ、それはどこに書いてあると思う?

古典だ。古典という書物だ。いにしえの人々が書き記した言葉の中だ。何千年移り変わってきた時代を通して、全く変わることなく残ってきたその言葉は、そのことだけで、人生にとって最も大事なことは決して変わるものではないということを告げている。それらの言葉は宝石のように輝く。言葉は、それ自体が、価値なんだ。だから、言葉を大事に生きることが、人生を大事に生きるということに他ならないんだ。  

言葉の価値を知らずにいるから、最近は人々が本を読まない。 

しっかり考えて、賢い人間になりたいのなら、やっぱり本を読むのがいい。むろん、どんな本でもいいというわけじゃない。本物の人が書いた本物の本だ。メディアの策略で流行になっているような本は、まず偽物だ。だまされないように、見る目を鍛えて。

絶対に間違いがないのは、だからこそ、古典なんだ。古典は、考える人類が、長い時間をかけて見抜いた本物、本物の言葉なんだ。消えていった幾銭の偽物、人の心に正しく届かなかった偽の言葉の群の中で、なぜその言葉だけは残ってきたのか、はっきりとわかるとき、君は、いにしえの賢人たちに等しい知識を所有するんだ。これは、ネットでおしゃべりするなんかより、はるかに素晴らしいことじゃないか。

 ※14歳からの哲学入門より引用

 

これらの言葉の中で私が最も印象に残っているのは『戦争からお笑いまで、全部が一律に電波で流されるから、人は、大事なことと大事でないことの区別がつかなくなっちゃうんだ。』という言葉です。

人が大事なことと大事でないことの区別がつかなくなってきているのかどうかはわかりませんが、これはテレビの大きな特徴で、本とは明らかに異なると感じました。

YOUTUBEなんかも断続的なのかもしれませんが、HIKAKINを見て、悲しいニュースを見て、はじめしゃちょーを見て、っていうことはおそらくないだろうから、やっぱりテレビだけが明らかに異質です。

その中でもやっぱり本が他のメディアと異なるのは時間の篩に耐えてきた古典があるということです。きっとYOUTUBEや他のメディアも時間の篩には耐えるだろうけど、100年後にも見返される映像ってほとんどないのかもしれません。

 

そういった意味を含めて、池田晶子氏は長く受け継がれてきた本を読んで、その知識を得て欲しいと言ったのだと思っています。

 

僕自身、例えばドストエフスキーなんかを読むと何十年も前に生きた名も無いロシア人たちと心を通わせているような、そんな気持ちになったりもします。 

 

おわりに

この本は難しい哲学者の難しい言葉が出てくるわけではなくて、生きていく上で重要なこと考えることを哲学と呼んでいて、そのことに本気で対峙した本です。

本書を手に取れば自分一人では考えつかなかった考え方や、素晴らしい言葉に出会うことができます。

子どもだけでなく、大人にとってもたくさんの発見がある本です。ぜひ読んでみてください。

14歳からの哲学 考えるための教科書

14歳からの哲学 考えるための教科書

 

 

【感想/貯金生活】お金と読書の関係性について考える【横山光昭】

はじめての人のための3000円投資生活という本がベストセラーになっています。

はじめての人のための3000円投資生活

はじめての人のための3000円投資生活

 

この本もすべきことが単純明快に示されているので、凄く取り組みやすい本です。

 

その3000円投資生活の著者であり、家計再生コンサルタント/ファイナンシャルプランナーである横山光昭さんの年収200万円からの貯金生活という本を読みました。

 

年収200万円からの貯金生活宣言

年収200万円からの貯金生活宣言

  • 作者: 横山光昭
  • 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン
  • 発売日: 2009/04/15
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • 購入: 39人 クリック: 716回
  • この商品を含むブログ (113件) を見る
 

こちらの本の方が出版されたのは前なのですが、こちらも非常にamazonでの評価が高い本です。

 

で、こちらも貯金をするに当たってのすべきことを簡単に示してくれるので非常に取り組みやすいです。

 

横山氏は、個人によって立っているお金ステージが異なると述べます。

そのお金ステージとは、

第1ステージ:お金を管理する。

第2ステージ:お金を学ぶ。

第3ステージ:お金を活かす。

 

貯金生活はお金を管理するというステージについて詳しく書かれています。

そして、この本を読んでレベルアップしてから3000円からの投資生活を読めば良いと私は思います。

 

で、なぜ私がこんな畑違いの本を紹介しているのかというと非常に面白い文章を発見したからです。

本書ではお金をためるためのプログラムの一つとして本を読むことが推奨されています。

その理由が面白かったので引用します。

現場で見ていると、おかねを貯められない人には何かを知りたい、習得したいといった意識が低い傾向を感じます。「お金」と「学ぶこと」には密接な関係があるのです。何かを意欲的に学ぼうとしない人には、お金に対してもネガティブなのです。生き方までが消極的ならば大損をしています。あらゆるものに対する無関心や無気力、惰性、卑屈な態度が結果としてお金を失わせるのです。すこしずつでも行動を変えていきましょう。

お勧めは本を読むことです。お金に関する本でなくてもOK。本には言葉があります。その言葉には、著者がこれまで経験して学んできた「考え」が凝集して盛り込まれています。その体験や提案を活かしてもらおうという著者の熱い思いが注ぎ込まれているわけです。その集大成を感じ取れる読書は気軽な「学び習慣」です。

 

どうでしょう。引用した言葉はもちろん一般論ではない部分も膨れています。

お金の管理のプロから見た読書観というものに触れることはめったにないと思い紹介させて頂きました。

実際、色んな角度から読書のことを考えている私にとって、非常に稀有でしかもためになる観点からの読書論でした。

 

私はお金の本というのはこれまであまり読んでこなかったので、この本に書かれている内容が正しいのか、面白いのか、簡単なのか、変なのか、正直言って他の本と比較して語ることはできませんが、お金の本の読者の初心者として読んだときに非常に面白い本だと感じました。

単に、お金を増やすということに留まらず、自身の習慣から変えていけるような本になっていると思います。

 

お金を貯めたい、お金をためれる人の考えに触れたい。そういったことに興味がある方はぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。

 

 

年収200万円からの貯金生活宣言

年収200万円からの貯金生活宣言

  • 作者: 横山光昭
  • 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン
  • 発売日: 2009/04/15
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • 購入: 39人 クリック: 716回
  • この商品を含むブログ (113件) を見る
 

 

ペットが迷子になってしまったときに備えてペット探偵に頼むということを絶対に頭に入れておいてください。

つい最近、ペットが迷子になった直後のことについて考えを巡らせたことがありました。

というのも先日、家の半径20km以内くらいの場所で犬が失踪したというツイートが流れてきて、少しだけ探してみたことがあったからです。

(その犬は無事飼い主さんによって発見されたみたいです。)

 

そこで飼い主が失踪直後に取るべき行動について、大きく2つのことが思いう込んだので述べさせていただきます。

 

①ペットの行動範囲の把握

これまでペットが迷子になったときのために迷子札やマイクロチップを装着した方が良いと考えていましたが、改めて考えると車の通行量の多い場所等で見失ってしまった場合には最初に取る行動が非常に大切になると体感しました。

ただ、例えば犬を飼っている人でも自分の犬が失踪した場合にその犬がどのような行動を取るのか。

1日にどれくらい移動することがあるのか。

このようなことに関して知らない場合がほとんどではないでしょうか?

私自身も先日迷子犬を探した際に、どのくらいの範囲を探していいのか分からず、やみくもにその20km先の失踪地点まで自転車でウロウロしながら探しに行くという非常に非効率な探し方をしてしまっていました。

実際には中型犬や大型犬の1日の移動距離は1~5km程度とされているため、私の取った行動が如何に無駄が多いものかわかると思います。

だから、ペットの飼い主さんはペットが失踪した際に取るであろう行動と、一日の行動量くらいは頭に入れておいた方が良いと感じました。

 

②ペット探偵の存在を知っておくこと

これも迷子犬の捜査の中で知ったことでした。

世の中には迷子のペットを探すことを専門的な仕事にしているプロの方がいます。

SNSを見ていると、『迷子になった⇒SNSで拡散して探してもらおう』という流れに乗る場合が非常に多く、もしかしたら意識がSNSばかりに向いてしまわれる方がおられるかもしれませんが、やはりプロに頼むほうが発見率は高まると思います。

この後、ペット探偵の方が書かれた本の紹介をさせていただきますが、その方はペットの発見率は7割以上と述べられています。(明言はされていませんが恐らく死亡したペットを発見した場合も発見としてカウントされていると思います。)

7割という数字が高いのか少ないのか比較対象が無いのでかイメージしにくいですが、

私は直感的にこの発見率はすごく高いと思います。

お金はかかりますが、ペットと再会するためにはペット探偵に調査を依頼するということを少なくとも頭に入れておくべきだと思います。

 

書籍紹介:ペット探偵は見た!藤原博史

ペット探偵を行っておられる方が本を書かれていたので早速読みました。

まずは著者の紹介から。

藤原博史。ペットレスキュー代表。1969年、兵庫県生まれ。幼少のころから無類の動物好き。ホテル、工場、漁業などさまざまな職業を経て、迷子になったペットを探す「ペット探偵」に天職を見出す。1998年に「ペットレスキュー」を設立。今までに捜索したペットは2000匹を超え、発見率は7割以上。

本の帯には1日20キロを歩くこともザラ。ビルからビルへ飛び移り、マンホールに入ることも。と書かれています。

本書は、藤原さんが実際に行った捜査が20例以上紹介されていて、(中にはクモやヘビの捜査もあります)その中でペットの失踪においてはどのようなことが考えられるのか、飼い主とのやり取りはどのようなものなのか、藤原さんがどのような思いでこの仕事に取り組まれているのかということが紹介されていきます。

(より実用的なことを言うと、どのようなシチュエーションで失踪が発生するのかということも知ることができます。)

 

本書を読むだけでもペット探偵の仕事は非常にハードであり、著者自身も述べているように、今まで多くの動物好きの方が志を共にし弟子入りを志望してやって来たが、ほとんどの人が3年続かなかったと述べています。

 

それでもペット探偵の仕事のことを著者はこう述べます。

本書ではペット探偵という職業の大変な面ばかりを書いてきました。確かにキツイ、汚い、危険といった3K労働に加えて、ドロドロした人間模様に出くわすことがあるのも事実ですが、それを上回る感動があるのも、また事実です。

人相手の探偵の仕事だと、どうしても浮気や身辺調査等の後味の悪いものが多いですが、このペット探偵の仕事は基本的には依頼者に感謝されて終わる、ッピーエンドの仕事です。前述の通り遺体で見つかるなど悲しい結末を迎えることはありますが、それでも、の調査と違って遺恨が残ったりすることはありません。

ペットの方も好きで迷子になっているわけではなく、帰りたくても帰れなくなっていることがほとんどですから、飼い主さんのところに戻れたらホッとしていることでしょう。さすがに動物たちから面と向かって感謝されることはありませんが、それでも、迷子になっていたペットと飼い主さんが再会する場面は何度経験しても感動的でいいものです。

だからこそ15年間、こうしてこの仕事を続けてこられたのだと思っています。

 

最初はどうせ大した本じゃないと思いながら読み始めた気持ちがあったのは事実ですが、本書を通じて感じられる藤原さんの誠意や思いが非常に心地よかったこと、またペットとの再会が如何に素晴らしいものかということを感じることが出来た1冊でした。

 

巻末には基本的なペットの捜索ノウハウもまとめられています。これを頭に入れておくだけでペットとの再会の可能性がぐっと上がると私は信じています。

 

なお、ペットレスキューのHP(迷子ペットの捜索---ペット探偵「ペットレスキュー」)にも捜索ノウハウは書かれています。書籍の方が詳しい内容が書かれている印象を受けましたが、まずはHPの方をご覧ください。

 

自分のペットは迷子とは無関係とは思わず、大切なペットを守るためにも一度本書を手に取ってみてはいかがでしょうか?

 

ペット探偵は見た! (扶桑社BOOKS)

ペット探偵は見た! (扶桑社BOOKS)

 

 

参考 

迷子札の重要性については過去に記事にしておりますのでこちらも合わせて読んでいただければ幸甚です。

caffeyne.hatenablog.com

 

瀧本哲史さんの『君に友達はいらない』がきっかけで、無知と貧困について色々勉強した。

瀧本哲史さんの君に友達はいらないを読み終えました。

君に友だちはいらない

君に友だちはいらない

 

 

就職前の学生や若いビジネスマンに是非読んでいただきたいと思えるだけの素晴らしい内容でした。

 

f:id:caffeyne:20170313221612j:plain

 

今回は、本書の本流ではないんだけど、私の心に残った言葉とそこから感じたことを紹介します。

(本流の部分も素晴らしいので、私のこの後の内容が気に入らなくても絶対に読んでみてほしい。)

 

まずは心に残った言葉から。それは永山則夫という死刑囚が獄中で述懐した以下の言葉です。

「事件がおきたのは自分が無知だったからだ。無知なのは貧乏だったからだ。」

 

永山について簡単に紹介すると、1965年永山は集団就職して上野駅に降り立った。永山少年は父母に捨てられ食べ物にも不自由した故郷で犯した、たった一度の非行歴の発覚に怯えて職を転々とし都会の孤独と貧困の底で喘ぐ。その後、彼は4人のタクシードライバーをピストルで射殺し、死刑囚となった。

永山は死刑執行までの獄中でマルクス等を含む様々な書物に触れ、文章を書くことで自分を見つめるすべを見出したとされており、実際に小説や手記等が出版されている。

出版された書籍の印税は遺族に渡したいと述べていたそうだ。(すみませんこれが実際に遺族の方に渡されたのかは私は調べれていません。)

 

この一連の事件および永山の言葉を紹介した後に、瀧本哲史さんはこう締めくくります。

貧困こそが人間から人間性を奪い、人を不幸にする最大の原因となるのだ。

 

一人の死刑囚の言葉にどれだけ真摯に向き合う必要があるのか、このことは良く考えなくてはいけないと思います。

ただ、私はこの言葉を発した人間がどのような人であれ、無知なのは貧乏だったからだという言葉にはある程度の真理が含まれていると感じました。

 

だからこれを受けて私が考えていきたいと思ったことが二つあります。

一つは貧困について考えること。これほどまでに科学技術が発達して国が豊かになっているのに、貧困はどこから生まれるのか。

もう一つは、現代における無知と貧困の関係性を知ること。永山が生きた時代と現代は全く異なっているはずで、例えば、現在ではスマホ一つさえあれば何だって調べることが出来ます。図書館だって様々な自治体にあります。書籍の中にはハーバード大学の授業と称するものも複数出版されています。

なので、この環境における無知はどのようにして生まれるのか知りたい。

 

無知について考えるためにこの本は読みたいと考えています。

無知の涙 (河出文庫―BUNGEI Collection)

無知の涙 (河出文庫―BUNGEI Collection)

 

 

今回は、君に友達はいらないという本を本流とは異なる角度から紹介しました。

いろんなことに考えが巡る素晴らしい本でした。

 

2018年1月追記

この記事を書いたことすら忘れていたのですが、このあと私は貧困のことも教育のことも勉強しました。

実際には、永山則夫の本は読まなかったんですが、参考にした本を紹介します。

 

少し古い本ですが、実際に日本にある貧困の現状はその凄惨さを知るにはこの本が良かったです。

著者の湯浅誠さんは現在もなお、貧困と戦っている素晴らしい社会活動家です。

反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)

反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)

 

 

貧困とはちょっと異なりますが、学校や図書館がない途上国に、学校や図書館を新設していくNPOの話。

勉強する施設環境という点において、日本がいかに恵まれているかを知れる一冊。でも、箱があるだけじゃ勉強しないのも事実。

マイクロソフトでは出会えなかった天職 僕はこうして社会起業家になった

マイクロソフトでは出会えなかった天職 僕はこうして社会起業家になった

 

 

こちらも教育の話。自分と同世代の方が途上国の教育問題をITの力を使って解決していくのは、素晴らしいと思うと同時に少し嫉妬してしまった。

それほどまでに、彼らが積み重ねていることは素晴らしい。 

「最高の授業」を、世界の果てまで届けよう

「最高の授業」を、世界の果てまで届けよう

 

 

上に紹介したものだけではないですが、瀧本哲史さんの本が(少し)きっかけになって読んだ本です。

紹介した本はどれも自信を持ってオススメできる本です。

もし、気になる本があればそれらも合わせて読んでみてください。

『君の脾臓を食べたい』をオーディオブックで読んだら違う良さが見えた。

私は車での移動が好きではない。なぜならば本が読めないからだ。

 

しかしそれを解決する方法があった。

そう、オーディオブックである。

オーディオブックで有名なのはオトバンクという会社とそれの関連アプリであるfebeだと思う。

www.otobank.co.jp

www.febe.jp

 

オトバンクはもともと視覚障害者のことを思って設立されたようである。

私もオーディオブックというのは聴覚障害者のためだけのものだとなぜか思い込んでしまっていた。

でも、それでは車に乗っている時間がもったいないのでこの度晴れてオーディオブックに挑戦した。

住野よるさんの『君の脾臓を食べたい』という小説が私にとっての初のオーディオブックであるが、それが思いのほか良かったので紹介したいと思う。

(この先はオーディオブックの紹介であり、君の脾臓を食べたいのネタバレはしないので安心して読み進めて欲しい。)

 

君の脾臓を食べたいを選んだ理由。

初めてのオーディオブックは絶対に小説にしようと思っていた。君の脾臓を食べたいを選んだのは良く書店で見かけたことと、febeで割引されていたことが要因だ。もうひとつダウンロードに悩んだのが中島敦の三月記だが、初めてのオーディオブックは簡単な方が良いだろうと感じたので中島敦は次回にすることにした。

その他に、君の脾臓を食べたいを選んだ理由は特になく、作品のことも著者のこともほとんど知らなかったが、結果としてこの小説を初めてのオーディオブックに選んで良かったと感じている。

以下に、君の脾臓を食べたいを通して見えてきたオーディオブックと目で読むタイプの小説(今後、通常の小説と記載する)について述べていきたい。

 

違い① 声がある。

声があるということの効力を私は侮っていた。

通常の小説では声すら頭の中でイメージするものであるが、オーディオブックではそれが許されない。ナレーターがイメージするキャラクターの声を受け入れざるを得ない。されに言えば、そのナレーターの声を通じてナレーターがイメージするキャラクター像が簡単に入ってきてしまう。

これは通常の読書を楽しんできた人にとってはいささか窮屈に感じる点だと思う。また、それに拍車をかけるのがナレーターが声優さんということだろう。

君の脾臓を食べたいは高校生の男女のちょっと変わった生活を描いていく小説である。主人公の男の子は鈴村健一さんが、もう一人の主人公の女の子は堀江由衣さんが演じられている。私は彼らの名前だけを見てもどれだけ凄いのかわからなかったが、wikipediaで見る限り両者ともにトップレベルの声優さんなのだろう。鈴村健一さんは、銀魂の人気キャラクター沖田総悟を、堀江由衣さんは化物語の羽川翼を演じている。私でも知っている有名アニメの花形のキャラクターだ。

すなわち彼らは日本のアニメをけん引してきた声優であり、声を通してキャラクターに息吹を吹き込むことに長けている人達である。なので良くも悪くも声優さんのイメージするキャラクターが簡単にイメージできてしまう。

 

正直、君の脾臓に出てくる女の子の声はかわいらしいアニメ声過ぎるきらいがある。絶対に私が通常の読み方をした場合にはイメージしなかった声である。男の子も同様に昨今のアニメに良く見られるやれやれ系(受動的に物事が進んでいきそれに対する諦観を持ち過ぎている系主人公のこと)を演じすぎている気がする。

だから、この小説を通常通り読んだ場合とオーディオブックで聴いた場合とでは全く異なる読み方・感じ方になっているはずだ。

 

声があるということが私が感じるオーディオブックと通常の読書の最大の違いだと思う。ただ、単純に私はこのことが嫌わけではなくむしろ楽しんでいる。本当に好きな作家さんの小説であれば絶対に最初は通常の読み方をしたいが、特に思い入れのない作家さんや(悪く言えば)あまり期待していない作品に関してはオーディオブックで楽しむのもアリだと思う。

また、日本に数多くいるであろう声優ファンの人がオーディオブックをきっかけに本を好きになってくれたら何よりうれしい。

 

違い② BGMがある。

ここまで書いただけでもオーディオブックは小説を単純に耳で聞けるものにしたものというよりも、映像のない映画、ラジオに近いものだと考えられる。

それを後押ししているのがBGMの存在だと思う。

オーディオブックには当然のようにBGMがあった。今のところ僅かにピアノの音が聞こえるくらいに留まっているが、もしかしたらボーカル入りの音楽が登場する作品もあるかもしれない。

あと、君の脾臓を食べたいに関して言えば焼き肉に行くシーンがあるが、そこでは焼き肉を焼く音が聞こえてくる。

これらのBGMも制作者サイドがオーディオブックをより良いものにしようという意図を持ってつけられているもののため、通常の読書とはことなる景色を読者の頭の中に描かせる作用が考えられる。

だが、これも文字だけを読む、あるいはセリフだけを聞くという読書法がどうしても苦手という人には役に立つことだと考えられる。もちろんそういった人にとっては、楽しい時には楽しい音楽を、悲しい時には悲しい音楽を流すことでイメージのフォローさえもできると思う。

 

違い③決められた読書スピードがある。

君の脾臓を食べたいはオーディオブックにして9時間5分の小説である。普段、本を読む人にとっては長すぎるくらいに長い時間になる。

febeの昨日の中には読書スピードを変更できる機能(1.0~4.0倍速まで)があるが、4倍なんて聞けたものではない。2倍だって正直早いので、私は1.2倍速で読んでいるがそれでもこの小説を読み終わるのに7時間半程度かかってしまう。

普通に考えたらやっぱり長い。映画よりもよほど長い。まぁこればっかりは諦めるしかないと思う。そもそも私は車内という隙間時間に聞く程度に考えているので時間の長さについては気にしていない。むしろ、通常の読書とは異なる時間の流れから見えてくることもあるだろう。

また、読書習慣のない人にとっては一定時間流すだけで読破できるというのはありがたいのではないだろうか。

 

違い④ 文字が無い

これも結構驚かされた。君の脾臓を食べたいという小説には、病気の女の子が書いた『きょうびょうぶんこ』という小説が登場する。私は最初、病に狂うという意味の『狂病文庫』かと想像力を働かせた。読者によっては『今日病文庫』などとイメージされる方もいるかもしれない。ただ、正解は病と共にいるという意味の『共病文庫』だった。これは物語の流れから解釈する、あるいは通常の小説にて確認するしか方法がない。

音を通して言葉が頭に入ってくるのにも関わらず、言葉が頭の中でもやもやしたまま残ってしまう。これも良く言えばオーディオブックの楽しみ方なのだろう。

確実に言えることは文脈を適切に追っていく能力と想像力がついていくのは間違いないと思う。

 

まとめ

読書が好きな人はオーディオブックを試した方が良い。通常の読書とオーディオブックの違いに気付き、それぞれの良さを感じ、読書の幅が広がること間違いなしだからである。スマホとアプリがあればそれ以上の機器は必要ない。また本の金額も高くなく、kindleと同じくらいをイメージしてもらえればよい。febeへの登録も無料である。

実用書はまだ読んでいないので評価しようがないが、物語のようにイメージや流れが重要でない部分もあるので、オーディオブックにより適している可能性もある。こちらも今後試していくが、きっと問題なく読む(聞く)ことができるだろう。

また、何度か述べたが読書が苦手な人にこそオーディオブックは適している可能性がある。これまでにもオーディオブックは聴覚障害者の方をはじめとする多くの人たちの幸福に貢献してきたと思うが、これから、オーディオブックが新たな本好きを生み出してくれることを願ってやまない。

 

君の膵臓をたべたい

君の膵臓をたべたい

 

君の脾臓を食べたいも良く売れているだけあって面白い。初めてのオーディオブックにおすすめである。

【君に友達はいらない】ブログによるフリーランスを目指す人に絶対に読んでおいて欲しい本

今回、紹介するのは瀧本哲史さんによる『君に友達はいらない』という本。

君に友だちはいらない

君に友だちはいらない

 

先に瀧本さんのことを少しだけ紹介すると、瀧本さんの職業はエンジェル投資家というものだ。

エンジェル投資家というのは、個人的に自分の「持ち金」を、「事業アイディア」と「創業者」しかいないようなきわめて初期ステージのベンチャー企業に投資するという仕事だ。

 

さて、挑戦的なタイトルの『君に友達はいらない』という本について紹介していきたいと思う。

本書は基本的には仕事や目標を達成するに当たってどのような『仲間』が必要なのかということについて述べられていく。

ある時には、黒沢明の7人の侍を例に出したり、ワンピースの仲間模様を分析したりすることで、今の私たちにどうあるべきかということを示してくれる。

 

しかしながら、私が今回フリーランスを目指す人に紹介したいのはその仲間についての本流の話ではなく、本書の中で余談として語られる部分だ。

以下に紹介していく。

 

昨今ではノマドとやフリーランスと称する働き方が若い人たちの間でもてはやされる風潮がある。

・・・

だが本質的にノマドやフリーランスは「強者」にのみ許される働き方であることに注意しなければならない。

そもそもノマドの語源でもある「遊牧民は」、人類が狩猟採集の時代の後に、農耕と牧畜を生み出して(オアシスに)定住して生活するようになってから発生した暮らし方だ。牧畜によって暮らす集団が一箇所に定住し続けると、やがて家畜がその周辺の牧草を食べつくしてしまうために、継続的に家畜を大量に養うことが出来ない、そのために家畜を放牧しながら、牧草を求めて移動する生活様式が生まれた。これが「ノマド」の起こりである。

だが、家畜を放牧しながら、移動して暮らすことには大きなリスクもある。家畜を柵で囲っておくことが出来ないために、オオカミなどの害獣に家畜を襲われることもあるだろうし、泥棒に家畜を盗まれる危険にも常にさらされるからだ。

なので、著者はノマドになるためには安定したオアシス(会社)を離れられるだけの牧畜のスキルや肉体的精神的強さが求められるという。

これが、ノマドやフリーランスが「強者」にのみ許される働き方という第一の理由。

また組織を離れたがる人が見過ごしがちなのが、組織にいるときに業務を通じて自然と入ってくる情報や、得られる人脈の価値だ。フリーランスになると自分の身の回りの範囲のこと、今手掛けている仕事の情報しか入ってこないために、自分が働いている業界で、どんなものが求められていて、何が時代遅れとなりつつあるのか「鼻」がきかなくなっていく。この感覚の鈍化は、1年2年では、はっきりとは分からないが、数年経つと取り返しのつかないギャップになることがある。

これが第二の理由。

また「フリー」という肩書で働いていても、本当に「フリー=自由」であるかと言えば、そうとは言えない人もすくなくない。フリーの物書きのなかには、読者の期待に振り回されて、どんどんセンセーショナルなことを書いていくうちに自滅していったり、いつの間にか企業の「謎の宣伝等」になっていったりする人がいる。逆説的だが、「本業」を別に持っている書き手の方が、真に自由にものを書けるということが少なくないのだ。

これが第三の理由。

最後に著者はこう結論付ける。

ノマド、フリーランスとして働きたいのであれば、自分が今いる会社を辞めて、それでも自力で本当に競争力があるサービスを提供できるか、それとも企業にとって「使い捨てできて都合のよい期間工のような人」で終わるか、客観的に見極めることが重要だろう。

 

私は、動物福祉ということを多くの人に認知してもらうためにブログを書いている。

正直、今動物たちが置かれている状況に関しては多くの人が目をそむけたいと思っていることだろうし、動物福祉の本を読むのは辛いし、それをブログで紹介しても検索流入なんてほとんどない。

こんな私がフリーランスになれば収益のことばっかり考えて動物福祉のことなんか書いてられないのは簡単に想像できる。

 

きっと、私が今フリーランスになったら、「20代で絶対に読むべき漫画をランキング形式で紹介するよ」とか「掃除嫌いの人にお勧めの電化製品はこれだ!」みたいなタイトルの記事を量産すると思う。(別にそれらを書きたくて書くのであれば問題ない。)

そして、効果的に買ってもらえるような商品紹介の配置を必死に考えたりする。

それは、私の描くフリーランスの理想の姿ではないし、ブログを始めた多くの人にとってもそれは理想の姿ではないと思う。

 

フリーランスになって適当にお金を稼いで、のんびりできればいいという人はフリーランスを目指してもいいと思うが、何か伝えたい事があるならばフリーランスはお勧めできない。

そのことが非常に論理的に記載されていたので紹介した。

 

上に紹介した本書の内容はどこかの会社に務める偉い人が書いた本ならば反発したくなる気持ちも湧いてくるとは思うが、本書はエンジェル投資家によって書かれている。

繰り返すが、エンジェル投資家というのは、個人的に自分の「持ち金」を、「事業アイディア」と「創業者」しかいないようなきわめて初期ステージのベンチャー企業に投資するという仕事だ。

すなわち、多くの場合、事業アイディアのみを持つ若者の味方になって若者のために尽力している人が書いた本である。

だから、きっと素直な気持ちで読めるはずだ。

もし、フリーランスを目指すことを検討している方がおられたら、絶対にこの本は読んでおいたほうが良い。

 

君に友だちはいらない

君に友だちはいらない

 

 

エンジェル投資家については、「大様達のヴァイキング」という超面白い本があります。エンジェル投資家についていまいちイメージがわかなかった人はこの本を読めば絶対にわかります。そんな生真面目な気持ちじゃなくても面白い本なので、是非こちらも読んでみてください。

王様達のヴァイキング 1 (ビッグコミックス)

王様達のヴァイキング 1 (ビッグコミックス)