『堀江貴文/多動力』に書かれた、ホリエモン流猫の殺処分防止方策が興味深い。
ホリエモンこと堀江貴文氏の『多動力』と『好きなことだけで生きていく』を一日で読んだ。
実際には、朝、『多動力』を読んでそれが面白すぎたので、その日のうちに『好きなことだけで生きていく』を買って読破した。『好きなことだけで生きていく』も非常に面白かった。
ホリエモンの本と言えば、『ゼロ』は大好きで3回くらい読んだ気がする。
ただ、そのあとに読んだ『ネットがつながらなかったので仕方なく本を1000冊読んで考えた』が面白くなかったので、ホリエモンの本からは遠ざかっていた。
しかし、繰り返すが『多動力』と『好きなことだけで生きていく』は非常に面白い。
まぁ、この二冊に書いていることは本質的には同じで、とにもかくにも色んなことに好きなことに一歩を踏み出せということが書いてあるだけだ。ただ、
とてつもない説得力とともに。
現状に満足していない人がいれば是非読んでみてほしい。
どちらを買えばいいのかわからないという人は両方買うことをお勧めするが、僅かな差を書くならば、『多動力』は多方面に動くためのスキルや持つべきメンタルについての記載が多いように感じた。内容を考えるとビジネスマン寄りの人に向けた本だとも感じた。
対して、『好きなことだけで生きていく』は堀江貴文イノベーション大学校のことを中心に書かれている。そこで行われるエキサイティングな物事が話題の中心だったように感じる。
まぁ、どちらを買ってもそんなに大差はない気がするが、内容はかぶっていないので両方読んで理解に厚みを持たせることをお勧めする。
さて、タイトルにも記載した、堀江氏の考える猫の殺処分への方策を紹介したい。
本書を読む限り、堀江氏はもともと猫の殺処分に関心を持っていたわけではなく、HIUの参加者から「ネコの殺処分は、かわいそうなのになんで影響力がある人はもっとこの問題について意見を発信しないのか」という質問を受けたことから始まる。
だから非常に少ない時間で考えられたことだろうし、内容はきっと精査されていないが、アイデアとして非常に面白かったのでそのまま紹介したい。
・ネコ好きの人に呼び掛けてクラウドファンディングで資金を集める
・ネコ好きのタレントや芸能人にも、インフルエンサーとしてPRしてもらう
・クラウドファンディングによって集めた資金を使い、無人島を丸ごと買い取る
・保健所にもちこまれて殺されるはずだったネコを、その島に避難させる
・その島でネコ好きのためのイベントを仕掛けたり、ツアーを企画する
・外国語表記のウェブサイトを作ったり、英語や中国語しか使えない人も遊びに来られるような態勢を整え、海外のネコ好きも島に呼び込む
・島への入場料及び収益をネコのエサ代や新たなネコの引き取り費用に充てる
無人島であれば外部の環境とは完全に断絶されるから、近隣住民にも迷惑をかけることもないし、環境に悪影響も及ぼさないだろう。他にもっと情報が集まれば、その分アイデアも増える。
(堀江貴文/多動力より引用)
いままでたくさんの動物愛護・福祉に関する本を読んできたがこんな発想をしている人はいなかった。だから単純に凄いと思った。
ただ、この点に問題を挙げるとすれば、その無人島の生態系はきっと変わってしまうことになるということ。ネコを殺さないということのために無人島の生態系を壊す覚悟があるかどうかということは問われると思う。
このように検討すべき事項は少なからずあるが、多くの人に本気度を見せる意味でもこの方策は実施してみる価値があるかもしれないと感じた。
もうひとつ、今回の堀江氏の提案に対して言いたい事がある。今回の堀江氏の提案はは捨てられたネコを生かすための方策だが、捨てられるネコを減らす方策についても述べて頂きたいと感じた。
ペット産業という捨てられる生命を生み出すシステムを変えることが、不幸な命を生み出さない何よりの方策だと動物に愛情を持つ人の全員が認識しているからだ。
もしかしたらペット産業についても既に他の著作に述べられているかもしれない。ということで堀江氏の著作を読みあさることが決まった。
そこに記載がなければ、私から直接聞いてみたいと思う。本気で。
動物の屋内展示をどう思いますか?
ピエリ守山の屋内動物園が問題になっています。
また、多くの人が優しい気持ちをもって苦しんでいる動物を救いたいと動いてくれています。
昨日もそのことで記事を書かせて頂きました。
しかし、本能を活かしにくい生活を強制させられている動物たちはまだまだたくさんいるのが現状です。
そして、不幸な動物を作ってしまいやすい動物展示施設の条件というものが確かに存在すると思います。
私はそのうちの一つが動物の屋内展示だと思います。
今、問題になっているピエリ守山のめっちゃ触れる動物園も商業施設内にある屋内型の動物展示施設です。
そして、私が思い浮かぶ屋内型の展示施設がもう一つあります。
それは、大阪にあるニフレルという動物展示施設です。そこには、独りで暮らすアクアという名前のホワイトタイガーがいます。
見てほしいのはこのブロックで囲われた無機質な棲みかです。
そして屋内展示なので、風を感じることも太陽の光も浴びることもありません。そのような環境でいったい何を楽しみに生きていけばよいのでしょうか。
私にはこのような環境で幸せに暮らす動物をイメージすることができません。
(実際、twitterでニフレルと検索するとかわいそうという言葉が予測変換で出てくる時期がありました。)
動物園は人を楽しませるという良い面もありますが、動物の一生を檻の中で過ごさせるという長期的な残酷さも持ち合わせています。
何も考えなければめっちゃさわれる動物園やニフレルのような住環境を作ってしまい、動物たちに不幸な暮らしを強いてしまうことがあります。
だからこそ我々は動物福祉を追求していく必要があると思います。
そのことを踏まえた上で、私が動物園に求めたいことがあります。
私が動物園に求めたいこと
できる限り彼らの本能が発揮されるような環境に身を置くこと。
最低限、風を感じたり太陽光を浴びれるような環境が必須だと思います。
家で飼っている犬だって猫だって、なぜか日向ぼっこをします。彼らにはそれが必要なのでしょう。しかしほとんどの屋内展示ではそれすらできません。そこで得ることが出来るのは人工照明のonとoffの繰り返しだけです。
この自然の光や風を受けられないという点で屋内展示はほとんどの場合、私は認めたくありません。例えばたまに散歩してあげるだけでも全然違うと思うのですが、現実的に猛獣を散歩させるなんて無理です。
日光や風を得るという当然の欲求も満たせてあげれないならば、それはその命に対して無責任にもほどがあると思います。
孤独を感じさせないようにすること
群れで暮らす動物を単独で飼育することは論外です。
また、人が遊び相手になってあげれないくらい危険な動物を単独で飼育することもやめてほしいです。動物たちに孤独を感じさせてしまうことはやはり辛いです。
ホワイトタイガーは単独で生活するとwikipediaにも記載がありますが、それぞれの動物が生涯にわたって本当に単独でいたいのか、ということに関してはきちんと考える必要があると思います。
もしかしたら動物園という特殊な環境では単独を好まない種もいるかもしれません。少なくとも東武動物公園では複数のホワイトタイガーが一緒に暮らしていました。
おわりに
これだけ考えても必然的に狭い飼育スペースになる屋内展示は動物の基本的な欲求さえ満たしにくいのが現状だと思います。
商業施設に併設することで客寄せパンダ的な効果を発揮するのかも知れませんが、倫理的に考えられた動物の飼育を考えてほしいと思います。
そこには本当に重い責任が伴うはずです。
実は、めっちゃさわれる動物園もニフレルも非常に新しい動物園です。日本でも少しずつ高まりつつある動物福祉の向上に明らかに逆行した、これらの施設を私は認めたくありません。
どうか、少しずつでいいので彼らの住環境の改善をお願いしたいと切に願います。
『国の偉大さと道徳的発展は、その国における動物の扱い方でわかる』これはマハトマガンジーが残したとされる言葉です。
日本はどうでしょうか?
僕たち自身の動物に対する思いやりが、幸せな動物を増やす風土を作っていくと思います。
是非、一度考えてみていただければと思います。
参考文献
このブログで何度も紹介させていただいている、動物の本能を大切にした動物園の飼育員さんの物語(ノンフィクション)です。
日本にも素晴らしい動物園もあります。
どうか全ての動物園で彼らの本能を満たすような取り組みがなされることを願います。
ピエリ守山のライオンを救え。SNSによるズーチェックにこそ動物福祉の未来を感じる。
今、twitter上で話題になっている動物園とそこで飼育されているかわいそうなライオンを知っていますか?
3日前ピエリ守山という施設のめっちゃ触れる動物園という屋内動物園で飼育されているライオンがかわいそう文字がtwitterを駆け巡りました。
そこには自傷行為を行ったとされる額に血が付いたライオンの画像も掲載されていました。(添付したニュースサイトで見ることが出来ます。)
そのツイートは現時点で1.5万以上のリツイートがされており、そしてネットニュースに掲載されるまでに至りました。
このことに関連する多くの人のコメントを読んでいると多くの優しい人がこの動物園の運営の異常性に怒り、動物たちを助けたいと叫んでいます。
私はこういった人たちの心の動きに感動すら覚えました。
なぜなら、日本は世界的に見て動物福祉(この言葉の意味は後ほど説明します。)の後進国とされているからです。事実そうだと思います。
過去にはヨーロッパでどうしても飼育できなくなったキリンを日本で引き取ると声を挙げたときに、動物への配慮がされない日本の動物園には渡せないとして、結局殺処分にしてしまった事例もあるほどです。日本の動物に対する態度はそれほどまでに劣悪であるとされていました。
そのようなことを考えると、日本人の動物に対する態度も非常に良い方向に向かってきたのではないかとこの一連の流れから感じました。
そして、今回の事件(あえて事件と呼ばせて頂きます)に関心のある全ての方に知っておいてほしいことがあります。
それは、動物の幸福な生活を追求することを『動物福祉』と呼ぶことです。
また、動物園動物の動物福祉がどのようなレベルにあるのかということをチェックする機能を『ズーチェック』と呼ぶことも知っていてください。
動物愛護という言葉は知っていても動物福祉という言葉はなかなか聞きなれないと思います。ですが、現在非常に多くの人が多くの場面で動物福祉の向上を試みています。
今回のツイートもまさに動物福祉の向上を求めたツイートであり、そして多くの人がそのことに賛同したという点で非常に大きな意味があるのではないかと思います。
そしてズーチェックについてですが、日本のズーチェックは基本的には行政が行うことになっています。しかしながら、一公務員ができるズーチェックには限界があります。
普段、劣悪な飼育環境にしてしまっている運営も行政のズーチェックが行われる日くらいは綺麗な環境を偽装することは充分可能です。
だから私は今回のことを受けて、日本におけるズーチェックは不特定多数の人間がSNSを使用することで機能していくのだと感じました。そしてそのことが動物福祉そのものを向上させ、日本人の動物愛護の情操を育てていくのだと感じました。
サラリーマンをしながらでも学生でも一つのツイートが動物たちの生活を大幅に変える可能性があります。拡散することだって充分に動物たちの力になります。こんなに素晴らしいことはないと思いませんか?
また、今回の事件を踏まえて、行政や動物運営サイドがどのような対応をするのかということは今後の日本の動物たちの命運を握るといっても大げさではないと思います。
なぜならば、2017年は動物愛護法の改正の年だからです。
動物たちのためにどうかこの一年間だけでもいいので動物愛護法に関心を持っていてほしいと思います。
動物たちを今よりももっともっと快適で幸せな生活が出来るように、産まれてきてよかったと思ってもらえるように、私たちにできることはたくさんあるはずです。
今回事件は非常に不幸なことであり、リオン君の生活が改善されることを願ってやみません。
ただそれにとどまらず、これを機に多くの人が動物福祉の改善に気持ちを向けてくれればと思います。
参考文献
もし動物たちの置かれている状況に興味のある方がおられたら伊勢田さんの『マンガで学ぶ動物倫理』という本がオススメです。伊勢田さんはれっきとした学者であり、その知識を活かして倫理的に動物の置かれている状況を説明してくれます。
こちらは、動物福祉を考慮した飼育環境を作ろうと闘う飼育員さん達の物語です。素敵な本過ぎて、このブログでも何回も紹介させて頂いている本。
日本にも素晴らしい動物園はたくさんあるので、そのことも是非知っていてほしいです。この本では4つの動物園が紹介されています。お近くにあれば是非足を運んでみてください。
本の感想も過去に書いています。
実際に、動物翻訳家を読んで紹介されている動物園にも行ってきました。
続編の記事も書きました。
動愛法改正のためにできること
探せばネット署名等もあるのでそれらも参照してみてください。
ただ、それ以上にまずは政治に関心を持ってみてください。動物愛護なんて多くの政治家にとって取るに足らない事象かもしれませんが、心ある方は真摯に動愛法の改正に向き合ってくれています。
そのような人たちを応援することもよりよい動愛法への立派な取り組みだと思います。
また、忘れてはいけないのが今回のようなSNSでの拡散です。
どんなものでもいいので、まずは自分たちのできる範囲のことから取り組んでいきましょう。
獣医学部を目指す受験生必見。獣医学部が抱える問題を知っていますか?
2017/0611 この記事を書くきっかけになった『生き物と向き合う仕事』の著者であり、獣医師の田向健一先生よりtwitterでコメントを頂いたので、そちらを追記した。
家計学園の問題がニュースを騒がせている。
このこと自体は多くのメディアで報道されているので、私はここで論ずるつもりはない。
そうではなくて、少なからず多くの日本人が獣医に関心を持っている今、日本の獣医学部が抱える問題点を知っていてほしいと思う。
特に、獣医学部を目指すご子息がいる方には知っていてほしいです。
獣医学部と動物実験
問題の一つは、日本の獣医学部では『動物実験』をほとんどの学生が経験するということです。(確か義務だった気がします。)
獣医学部で実施される多くの動物実験は、動物に危害を加えることが必要であり、多くの場合、死に至らしめることになります。
考えるまでもなく獣医師を目指す多くの人は、動物を愛している人が多いと思います。そして将来的に動物を救う仕事がしたいと思う人が多いはずです。
それなのに単位取得のためにやりたくもない動物実験を実施し、動物を殺すことになる。
これは非常にショッキングな体験です。
私自身は農学部の出身ですが、大学の授業の一環で1匹だけマウスを殺し解剖したことがあります。(これも必修でした。)
まず、先輩がどのように解剖するのか見本を見せてくれたのですが、あまりの光景に失神する女の子すらいました。
それほど、死というものは大きな衝撃を与えます。
ただ、学部、あるいはそのあとに配属される研究室では日常的に動物実験がおこなわれる場合があります。
そんなときにいちいち大きなショックを受けていては心が持ちません。
私は心理学の専門ではありませんが、動物実験に携わる多くの人はきっと自己防衛の一環として動物を殺すことに『慣れ』るのだと思います。
そして、その背景には医学の進歩という大義名分もある。
実際、日常的に動物実験を行う友人をみているとそこには善悪の感情は無かったように思います。
だから、まずは獣医学部とはそういうところの可能性があるということを知っていてほしいです。
動物実験のない獣医学部
何かの本で読みましたが、アメリカのどこかの大学では動物実験をせずに獣医学の学位をとれる大学もあると知りました。
全ての獣医学部が動物実験を廃止するべきだとは思いませんが、動物実験を廃止する獣医学部が日本にできればそれはそれで多くのニーズを満たすことになると思います。
心からそんな獣医学部が出来ればなと思います。
獣医学とは何か/動物と向き合う仕事
獣医学は元々、人類の健康を職を守るための学問だから、動物を救うことが真理ではない。
臨床現場で出会った生き物たちを通じて考える
命とは、病気とは、生きるとは?
(生き物と向き合う仕事/田向健一)
獣医学とは何かを考える上で、参考にすべき本があります。
田向健一さんの動物と向き合う仕事という本です。
獣医学部で何を学ぶのかというような基本的なことまで書いているので、興味のある方は是非手に取ってみてほしい。
基本的ながらもきちんと学問のことを教えてくれるので、勉強の道具にもなりえる。獣医学部の1・2年生くらいでどんなことを学ぶのかということの参考にもなると思います。
ただ、ずいぶん前に読んだ本ですが、強く印象に残っていることがあります。
それは、この著者が動物に対して愛情を持っていると同時に、非常にドライな感情も持ち合わせているということでした。
最初に引用した文章からもその一端を覗くことができると思います。
twitterで田向健一先生からコメントを頂くことが出来ました。
原文のまま紹介いたします。
はじめまして。こちらこそ拙著を引用していただき感謝しております。獣医学部では、ペットの病気の勉強は半分もしない、ということはあまり知られていません。それを知って欲しくあの本を書きました。今回の騒動も含め、獣医学部を知るきっかけになればと思っています。
— 田向健一 (@tamuken714) 2017年6月11日
超個人的にですが、本の著者の方とコミュニケーションを取れたのは初めてだったため非常に斬新で嬉しかったです。
命の価値を高めるために
ここからは私の想像ですが、獣医学部は動物実験を通して、動物に対してドライになるような価値観を学生に植え付けるような一面があるのではないでしょうか。
そして、そのような価値観のもとに獣医師立会いのもとによる動物の殺処分が行われたりしている可能性があるのではないかと思います。
20歳前後という多感な時期に、強制的に動物実験を行うことが私には正しいこととはどうしても思えませんでした。
だから、あえて獣医学部の問題として問題提起させていただきました。
関連記事
獣医以外にも動物のための学問は存在します。私が知っているのは動物行動学という学問です。
そのことについて記事を書いたので関心のある方は是非読んでみてください。
活字離れ、物語離れ、読書の壁
養老孟司の本のタイトルみたいになってしまったが、真面目な話をしたい。
読書には読書から離れていく要因や高い壁があるように思うので、それを考えていきたい。
活字離れ
若者の活字離れという言葉があるくらいなので、やはり読書にはほおっておいたら離れてしまう斥力みたいなものが発生していると思っていいかもしれない。
個人的には若者はスマホを通して、とんでもない量の情報を活字から得ているのではないかと思うので、やはり、みんなが離れて行ってしまうのは活字ではなく、読書なのだと思う。
若者が活字にくっつけなくなって識字率が下がったというような悪いニュースも日本では聞いたことがない。
日本の識字率は99%である。ちなみに北朝鮮も識字率は99%である。一番低いのはマリで、26.2%である。
マリでは4人に一人くらいしか字が読めないことになる。これは想像だが、字が読める人のほとんどが男性なので、きっと子どもに本を読み聞かせる母親もいないという悪循環にはまっていることが想像できる。
そういう状況を打破するために家づどうしているNPOもいる。
気になった方は是非『マイクロソフトでは出会えなかった天職』という本を読んでみてほしい。
余談でした。
物語離れ
話を戻す。私は物語が嫌いという人に出会ったことはない。とんでもない知識人の一部には、小説を読む暇がないとか、フィクションに魅力を感じないとかいう人もいるが、それでも嫌いという人はいない。
「物語だけは聞きたくない!やめてくれ!」と叫ぶ子どもを現実世界でもフィクションの中でも見たことがない。
むしろみんな、映画は見に行くし、ドラマは見るし、漫画も読むし、アニメも見る。子どもたちはみんな絵本を読んでもらうことが好きだ。
だから、幸運なことに物語離れも今のところ進行していない。
読書の壁
「本には何かある。」これはレイブラッドベリの華氏451度に出てくるセリフである。
そう、本には何かある。魅力が詰まっている。引き付けたら離さない何かがある。
一方で、簡単には寄せ付けないような斥力があるのも事実だ。
私はそこを解明したい。
絵本と活字の間の壁
まず思いつく一つ目の壁が、絵本と活字の間の壁だ。思い出してみてほしいが絵本が嫌いだった人はいないはずだ。色とりどりの風景や個性的なキャラクターが出てくる絵本は楽しかったはずだ。
ただ、それらが活字のみになると消え去ってしまう。そのストレスが読書への道を閉ざす一つの要因だと思う。実際、絵本の形式に近い漫画は多くの人に好まれていることからも、映像がないというのは読書離れの大きな要因なのだろう。
きっと多くの人にとって想像することすら手間なのだと思う。
自分の想像力を広げていく読書の魅力を伝えられていないことが読書の壁を作り出している要因ともいえる。
手軽さの壁
読書は手軽なツールではない。読むのにも時間がかかる。それが読書の斥力のもう一つの要因だと思う。
スマホでアプリをダウンロードするだけでゲームを楽しめてしまう現代において、手軽さの点で本は見劣りしてしまっている。
映画などでは味わえないその重厚な時間を主人公と旅することは大きな魅力の一つのはずなのだが、その魅力も誰も伝えることが出来ていないのだろう。
実際、私もそんなこと教えてもらった記憶がない。実は本も開くだけでその世界に入り込める手軽な手段なのだが、それもきっと伝わっていない。
最後に
こう考えると、活字離れも物語離れも進行していない。私たちに必要なのは『はらぺこあおむし』から『エルマーのぼうけん』に繋がる何かを伝えることだと思う。
それをはっきりさせない限り、読書への扉は多くの人に認識すらされないと思う。
入口は母親が絵本と共に開き、そのあとはほったらかし。義務教育でも読書の時間が取り入れられたりするが、それも自発性に頼っている部分が大きい。
課題図書やそれに付随する読書感想文だって強制力が大きい。今このようにブログを書いている私だって読書感想文は大嫌いだったし、何のためにやっているのかわからなかった。
つまり、今読書から人が離れて行ってしまっている大きな要因は、読書の魅力を伝える努力があまり為されていないからではないかと思う。
読書をすれば何が得られるのか、どのタイミングでどのような本に出会うべきなのか、もっと踏み込めば今その人がどのような本を求めているのか。
そのようなことに踏み込んで伝えようとしない限り、今のような多くの人が読書に触れず、書店が次々閉店していくような状況は止められないのではないかと思う。
絵本の読み聞かせの後に我々は何をしてあげるべきなのか、考えていく必要があるように思った。
成毛眞「本を読まない人はサルである!本は10冊同時に読め!」
先に断っておくが、タイトルは私の言葉ではない。
誰かがうっかり言ってしまった失言でもない。
成毛眞という人が書いた本のタイトルの一部なのである。
そもそも、成毛眞という人をご存じだろうか。
本を読まない人をサルと呼ぶくらいなのだからとんでもないおやじである。
一時は日本マイクロソフト株式会社の社長もしていたのが信じられない。
今は『HONZ』という書評HPの運営をしている。これまた素晴らしいHPなのでとんでもないおやじがやっていると思うと信じられない。
(読書量や考え方を知れば全然信じられないことはないのだが。)
私の中で読書と言えば佐藤優や立花隆がすぐに思い浮かぶのだが、そのラインナップに成毛眞も名を連ねた。とんでもない怪物である。
その怪物具合が知れるのが『本を読まない人はサルである!本は10冊同時に読め!』という本なのだ。
ただ、本を何冊も並列して読むことは、今では様々な読書本に取り上げられている内容である。
だからこの記事では本書の主題の、『本は10冊同時に読め』ということについて書きたいわけではない。
私がこの本を読んでほしいと思うのは、この成毛眞というおやじがどれだけとんでもない人間で、どれだけ面白い人間かということを知ってほしいからである。
例えば、成毛眞の娘が塾に行きたいと行った時の話。
私は娘が学習塾に通いたいと行った時にも、「勉強してどうするんだ」と塾に行かせなかった親である。娘は学校の成績はそれほど良くなかったが、本と映画に関してはそのへんの大人よりも詳しい。
娘さんはどう納得されたのだろうか。。。
また、文章の上手さ至上主義のようなところがある。
面白い本を読まなければ、読書にハマることなど一生ないだろう。周りがみんな「名作だ」と絶賛している本でも、ムリして感動する必要などない。私にとっては志賀直哉の本は焚書である。あまりにも文章が下手なので、小説の神様と呼ばれているのが子どものころから不思議だった。
どちらのエピソードも一般人の思考とは異なる。だが、読書をする人の目的の一つは庶民を抜け出すことだ。このことも少なくない本によく書かれていることである。
成毛眞も冒頭でこの本で紹介するのは、「庶民」から抜け出すための読書術である。と述べている。
そういった意味では、成毛眞は経歴も考え方も庶民離れしている。ノーベル物理学賞を受賞しながらも破天荒な生き方をしたファインマンに似ているのかもしれない。
実際、本は10冊同時に読め!でも『ご冗談でしょう、ファインマンさん』を勧めている。
この本は私も大好きな本であり、多くの読書家たちに勧められている本なのでこちらも是非読んでみてもらいたい。
これまで『本を読まない人はサルである!本は10冊同時に読め!』を紹介してきたが、本書の良さを1%も伝えられていないことは自覚している。
だから是非、本手にとって読んでみてほしい。かなり過激な内容になっているが、普段本を読むようなサルじゃない人は読んでも精神的ショックは少ないと思う。
私は本書を読んで成毛眞が一気に好きになった。
とんでもないおやじなどと悪口を言ってしまったので 、最後に本書に書かれている最も共感した文章を紹介したいと思う。
本を読む・読まないという行為は、その人の品格に関わってくるのではないかと思う。品格に読書は関係ないと否定する人もいるかもしれない。だが、本を読んでいる人間が車の中に幼児を置いたままパチンコに興じるとは思えないし、電車の中で平気で化粧をするとも考えづらい。
なぜなら、本を読むには想像力が必要だからだ。
単なる活字の並びを目でなぞり、そこから遠い異国の情景を思い浮かべたり、目に見えない哲学や理論を構築したりするのだ。想像力が欠如している人間には、到底味わうことができない媒体なのである。
そうした想像力があれば、厚い車内に幼児を置き去りにしたらどのような結果を招くか、電車内で化粧をしたら周りの人間がどう思うのか。ということに思い至るはずだ。それができないような人間には、本は読めないということなのである。
・・・
本をよく読む人と言うのは、地位や収入にかかわらずどこか品性があり、含蓄のある話をするので一緒にいても面白い。
人間の品格や賢さに地位や年収は関係ないのだと、つくづく思う。話せばすぐにわかるが、人は中身まではごまかせないのだ。
どんなに偉い人でも、本を読まない人間を尊敬する必要はない。人によく似た生き物、サルに近いんじゃないかと思えばいいだろう。
本と想像力の関係を見事に書いてくれている。