憂鬱さの強い自分と向き合う
『この世には憂鬱さの度合いが強い人とそこまで強くない人がいて、僕は憂鬱さの度合いは周りの友人や同僚と比べて比較的強い方だな』と、僕が気づいたのはちょうど一年前くらいでした。
これは自分の自己認識できて最もよかったことの一つです。
憂鬱さの強い自分と向き合う
憂鬱になる自分がいることを理解していると、どういうタイミングで憂鬱になりやすいのか理解できるし、何をすれば憂鬱さが軽減するのかも理解できるからです。
あとは「この程度のことじゃ他の人は憂鬱にはならないんだろなぁ」と自分を客観視できることで、無理なく憂鬱さから遠い場所に精神を置けるということも発見しました。
これほんとすごい発見だと思うので、憂鬱になりがちな人は、『自分が憂鬱になりやすい方なのかどうか、一度自分と向かい合ってみて欲しいと思います。』
ちなみに憂鬱さの度合いが異なることに気づけたのは、『しょっちゅう仕事で怒られている先輩が、一度も憂鬱になってるの見たことがない』からです。
その先輩はおそらく憂鬱さの度合いどころか、憂鬱さは限りなくゼロに近いと思います。正直僕からしたらサイコパスにさえ見えます。(仲はいいです。笑)
居場所が僕を憂鬱さから救う
そんな憂鬱になりやすい僕ですが、大切にしている解消方法があります。
読書です。
僕は社会人1年目、2年目くらいは本当にしんどくて憂鬱で、死にそうだった頃がありました。
それは後付けのように感じるかもしれませんが、全く読書をしていなかった時期と被ります。
そんなころにどうにかして憂鬱さを解消するべく「そういえば最近本読んでなかったな」と思って、本を読み始めると日々の生活の中にある憂鬱さが軽減されていくのが実感できました。
本なんて全く必要としない人がいる一方で、僕がなぜこんなにも読書を必要とするのかわかりました。
本の中にある物語の世界は、僕にとっては大切な居場所だったのです。そしてその居場所こそが僕を憂鬱さから救ってくれていました。
余談だが、歴史小説家の司馬遼太郎も21世紀に生きる君たちへというエッセイのなかで『私には、幸い、この世に素晴らしい友人がいる。歴史の中にもいる』と述べています。
司馬遼太郎も歴史という物語の中に友人、そして居場所を見出していたのでしょう。
だから僕は環境ががらっと変わったり、仕事のプロジェクトが佳境にあるときなんかは意図して本を読むようにしています。
おわりに
憂鬱さだけじゃなくて喜怒哀楽やその他の言葉にできない感情なんかも個人差があると思います。
まずは自分の傾向に気づいてそれと向き合うこと。さらに言えば感情の度合いの個人差にも目を向けてあげることができたなら、僕たちはもっとコミュニケーションが上手くなって、もっと美しく生きていくことができるはずです。
そんなことを思いました。