忙しさや時間のなさが共感のような大切な感覚を奪っているかもしれない。
長らく動物愛護・福祉のことを書いていきました。
その中で感じてきたことの一つが、『犬や猫の殺処分を減らそうという考え方は倫理的に考えて明らかに正しいのに、なぜいまいち共感が得られないのだろうか』ということでした。
このことについて私なりの2つの答えが見えてきたのでそれを紹介したいと思います。
私たちが動物を殺す理由
私たちが私たちのために動物を殺す場合には大きく分けて2つの場合が考えられると思います。
①人にとって有効活用できるので殺す場合
人が食べるために命を頂戴する。あるいは、衣服・漢方・動物実験に使用する等です。
②人にとって有害なので殺す場合
田畑を荒らす、伝染病を感染させる恐れがある等です。
この2つのパターンに関しては、多くの人が積極的に反対はしないと思います。むしろ、無意識の内に賛成している場合がほとんどでしょう。
私も、彼らの生活環境については今よりももっともっと考慮する必要があると思いますが、大きく反対はしません。
では、犬や猫の殺処分はどうでしょうか。
①人にとって有用だから殺すというのは当てはまりませんね。
②人にとって有害だから殺すというのは一見あてはまりそうです。捨てられた犬や猫長期間を飼育するには相当のコストがかかる。だから殺処分は正しいという考え方です。
これはどうでしょうか。
犬や猫が殺処分されているのは、野生の犬や猫が大繁殖しているからではありません。人が販売するために大量生産して、売れない、あるいは飼えなくなった犬猫が保健所に送られ、殺処分されている場合がほとんどです。
こう考えていくと根本の原因は人間にあるので、②も私は本質的には成り立たないと考えています。
余談ですが、現在動物保護団体や一部の行政の活動によって、捨てられた動物たちの殺処分は減ってきています。ですが、ペットの流通の上流に位置するブリーダーや販売者をこの状態のまま放置していることが根本原因だと考えられています。
だから、多くの見識ある方々がこの上流の規制を強めたいという意識を持って動いています。
詳しくは『犬を殺すのは誰か/ペット流通の闇』という本を参照してください。
なぜ動物愛護・福祉が浸透しないのか
さて、動物の殺処分は人にとって有用でもなければ、有害だから殺処分しているのでもないということがわかりました。
そうであるならば、綺麗事ではありますが、殺処分はやはり誰のためでもないわけで、もっと多くの人が認識を改め努力すれば無くせる可能性が高いものだと感じるのではないでしょうか。少なくとももっと大幅に減らせるはずです。
ですが、ほとんどの人が動物の殺処分に関心がない。
その原因の一つが、私たちの余裕がないことであり、もう一つが動物の殺処分というネガティブなものに携わりたくないという考え方なのではないかと感じました。
以下にその理由を述べていきます。
①私たちの余裕がないことについて
これは動物福祉ではなく、貧困問題に貢献している湯浅誠氏の『ヒーローを待っていても世界は変わらない』という本に書かれていました。
単純に言って、朝から晩まで働いて、へとへとになって九時十時に帰ってきて、翌朝七時にはまた出勤しなければならない人には、「社会保障と税のあり方」について、一つ一つの政策課題に分け言って細かく吟味する気持ちと時間がありません。
子育てと親の介護をしながらパートで働いて、くたくたになって一日の火事を終えた人には、それから「日中関係の今後の展望」について、日本政治と中国政治を勉強しながら、かつ日中関係の歴史的経緯を紐解きながら、一つひとつの外交テーマを検討する気持ちと時間がありません。
だから私は、最近、こう考えるようになりました。民主主義とは、高尚な理念の問題というよりはむしろ物質的な問題であり、その深まり具合は、時間と空間をそのためにどれくらい確保できるか、という極めて即物的なことに比例するのではないか。
湯浅氏は多くの人が社会が抱える問題に目を向けれないことを意識の問題ではなく、時間がないこと、話し合う空間が無いことが問題だと述べています。
著書ではその問題を解決することは非常に難しい問題ではあるが、そのような場所と時間を作ることこそが自分たちの役割なのではないかと書かれています。
このことは動物の問題についてもあてはまると思います。多くの人が共感できるであろう殺処分の廃止についてなかなか共感が得られなかった一因は時間も空間もなかったことなのでした。
しかも私たちが抱える問題は動物のことだけではありません。保育園の問題や貧困などの問題を抱えながらなんとか時間を確保したとして、はたして動物たちのことを思える人がどれだけいるでしょうか。
これが動物の問題でなかなか共感を得られない一つの理由です。
これも余談ではありますが、私はこのことを知ってから、会社から早く帰ることにあまり罪悪感を持たなくなりました。
それどころか仕事の効率を上げて少しでも会社から早く帰ることが社会問題の解決につながると信じられるようになりました。
会社から早く変えることが難しい場合も多くあるとは思いますが、このような考え方を持ってみるのも大切だと思います。
②ネガティブなものを見たくないという精神
①で述べたように私たちには時間があまりありません。このことも日本が抱える問題の一つといってよいでしょう。
では、その時間のないなかでネガティブなものに目を向けたいでしょうか。
目を向けたくないのが現実だと思います。
しかも『死』というのは非常に強烈です。しかし、動物問題の多くの場合、それは苦痛や死に終着します。疲れ果てた中でそのことを学び、共感することのハードルの高さは考えてみれば当然でした。
そんなものを目にするくらいならば、何も考えずにバラエティ番組を観たりする方が人間の心理として正しいと思います。
だから動物問題に関心の薄い人を巻き込むためには、ネガティブなもの(例えば、動物たちが如何に悲惨な環境に身を置いているのか)ということを伝えるのだけではなく、救われた動物たちが如何に幸福な生活を送っているのか伝える。このことが重要になってくるのではと思いました。
まとめ
長らく感じてきた動物問題がなぜ共感を得られないのかということについて私なりに分析してみました。
この記事を読み返してみても、残酷な描写や画像の添付はしていないにしても、殺すという文字や死という文字がたくさん使われていて、ネガティブよりになってしまったなと少し反省しています。
ですが、3連休のなか日という私たちに余裕のある今日この記事を書いておきたいと思いました。
2年間くらい動物のことを書いてきましたが、この記事を書き終えて一つの集大成のようになったなと感じています。
私の記事が何かのヒントとなって、動物問題が少しでも進展することを願います。
参考文献
記事中でも少し触れさせていただいた本。ネガティブ満載なので、本気で動物の問題を知ろうという人以外には少しオススメできない。
でもこの本ほどにペット流通の闇を深く取材した本は無いと思うので、関心のある方は覚悟が出来たら読んでみてほしいと思う。
殺処分を廃止したい人にとっての必読の書だと思っています。
この記事を書くきっかけになった本。著者の湯浅誠氏は貧困問題に立ち向かう社会活動家ではあるが、日本の社会問題を考える上でのキーパーソンだと思う。
社会問題に興味がなくとも、民主主義ってなんだろう。どういうところに問題があるんだろうという疑問を持っている方がいれば是非読んでみてほしい。
きっと今まで考えてきたこともなかった民主主義の問題が見えてくるはずだと思う。
動物の問題を考える上で、最もポジティブな本の一つだと思う。表紙からして悲痛な感じは全くない。
この本は動物法を日本とアメリカで学んだ経験を持つ学生が書いた本です。本庄萌さんという方なのですが、アメリカ、ドイツ、イギリス、スペイン、ロシア、ケニア、香港と日本の計8カ国のアニマルシェルターを見て感じたことが書かれています。
世界の進んだアニマルシェルターではどのように動物が生かされているのか、どのように人に対する啓もう活動が行われているのかということを知る上で非常に重要な本になっています。
ほとんど残酷な描写はなく、日本を含め多くの人が動物たちを救うためにどのような工夫をしているのかということなどが書かれています。
ちなみに表紙の犬は、後ろ足が不自由にも関わらず、専用の道具まで作ってもらって元気に走り回っているそうな。
2017年5月に発売されたばかりの本なのですが、このような本が出てくるあたり、やはりポジティブなものが社会問題を解決する上で重要と捉えられてきたのではないのかと思っています。
ほんの少しでも動物の問題について考えてみたいという人がいれば、まず最初に読んでみてください。