満月なのでご紹介します。

社会問題(特に動物問題)と読書のブログ

堀江貴文著『すべての教育は「洗脳」である』に洗脳されないでほしい。

堀江貴文、通称ホリエモン。

 

私はこの人の考え方が好きで、著書も少なからず読んできました。

特に、最近ベストセラーとなっている『多動力』は非常に面白く、このブログでレビューもさせていただきました。

caffeyne.hatenablog.com

 

確か、多動力で堀江貴文氏が書いていたことの一つに、私(堀江貴文)にインタビューするならば、最低限書籍には全て目を通せというものがありました。

私は堀江貴文氏が殺処分をはじめとする社会問題にどれだけ関心があるのかということを調べるためにまんまとだまされて堀江貴文氏の本を読みあさっています。

 

そのなかで、多動力と共に書店でよく紹介されているのが、今回紹介する『すべての教育は「洗脳」である』です。

 

超簡単に内容を紹介すると、タイトルにもある通り、全ての教育は洗脳なのでその洗脳から脱してほしいということが書かれています。

(ちなみになぜ、教育がこのようなかたちをとったのかということを堀江貴文氏は以下のように述べている。産業革命で工場というものができた結果、その工場での仕事に適応するためにある程度の基礎的な学力、忍耐力やコミュニケーション能力を持った均一な人的資材が必要になったからだとのことです。)

 

いい学校に入学して、いい会社に入社して人生を終えるのが素晴らしいというのも堀江貴文氏の言う洗脳であり、多くの学生や社会人が必死にこのルートに乗ろうとしている一方で、堀江貴文氏やイケダハヤト氏のように完全にルートを外れて楽しんでいる人もいます。

そしてそのようにして成功している人を見ると、もしかしたら現代はこの洗脳から脱する過渡期にあり堀江氏の提言はその過渡期のブースターのようなものなのかなと思います。

 

ただ、私はこの本を読む人や読んだ人に一つだけ伝えたいことがあります。

それは、教育の価値を貶めないでほしいということです。

 

確かに、教育が洗脳ということも認めます。私自身、堀江貴文氏の言う洗脳を受けて、良い高校、良い大学、良い企業というレールに乗ろうと努力した一人です。

だからこそ、堀江貴文氏の言うそのようなレールのあほらしさも少し体感できている部分があります。

脱洗脳、これは今の私だけじゃなく多くの人にとっての課題であることは間違いないです。

 

しかしながら全ての教育が洗脳なのでしょうか?

教育を受けれない悲しさというものを考えたことはありますか?

文字を読むことを教わらなかった母親がどのようにして子どもに本を読み聞かせてあげればいいのでしょうか?

世界でも日本でも教育を受けれなかった人たちの辿る人生というものは多くの場合、非常に苦しいものがあります。教育と犯罪や貧困の間には確かな相関性がることはよく知られています。

 

その一方で彼らの学習意欲や知的好奇心は素晴らしいものです。

そんな彼らを正しい方向に導くものの一つが教育だと思います。最低限の教育は誰にでも必要です。たとえその一面に洗脳があったとしても。

 

だから私は『教育=洗脳』は成り立ったとしても『教育=不要』とは思ってほしくありません。

教育が貶められた世界は恐ろしいと思います。

 

堀江貴文氏が私たちに問うているのも、洗脳の一面を持つ教育と如何に付き合っていくのかということだと思います。

この本は全ての教育は洗脳であるということだけを述べているのではなく、堀江貴文氏が考える人生の楽しみ方が満載されているため、多くの人にお勧めしたい一冊なのですが、その一方で教育の価値を貶める人が出てこないか心配になる一冊でもあります。

 

だからこそ、今回このような記事を書かせて頂きました。