義務を果たさない人には権利が与えられないという考え方はどう考えてもまずい
前に上司に「有給を下さい」と言ったら、「(仕事という)義務は果たしたのか。義務を果たさない人に権利はない」と冗談で言われたことがある。
まぁ、上司もそのセリフが言いたかっただけみたいで、普通に有給はとれたし私も気にも留めていなかった。
良く聞くセリフだなー。仕事しっかりしないとなー。ってな感じで。
でもこの考え方っておかしいと最近気付いた。
義務を果たした人にのみに権利が与えられるというならば、白人にバスの座席を譲らなかったローザパークスは何を行えば座席に座る権利が得られたのだろうか?
かつての奴隷は何を果たせば選挙権を得ることが出来たのだろうか?
子どもが不当な体罰を避けるためには(さらに言えば不当に殺されないためには)何をすべきなのだろうか?
女性がすべての職に就くためには何をすれば認められるのだろうか?
動物たちが彼らの本能を満たした生活を送るためには、動物たちは人に何かしらの貢献をしないとだめなのだろうか?
同性愛者の権利は?少数民族の権利は?
こう考えていくと権利を得るために義務は必須ではないと思えてくるのではないだろうか。
だって、義務の対価が権利というならば上述したような権利はきっとずっと手に入れられない。なぜなら義務のハードルが高すぎたり、そもそも義務も権利も与えられていない場合があるからだ。
だから義務にこだわりすぎる必要はないと思うし、義務を果たしていなくても権利を主張する権利は誰にでもあると思う。
もちろん、いたずらに権利のみを主張することが正しいとは思わない。それをしてしまっては信頼感が失われ、周囲から人が離れていく危険性だってある。
一部の過激な人達の権利の主張がその問題全体にネガティブなイメージをつけてしまうのは多くの人がイメージできる、あるいは実際に感じていることだと思う。
権利を主張し、正当に得るためには周囲の人を巻き込めるような説得力も必要だろうし、理想を押し付けるだけでなく妥協点を模索する能力も必要だと思う。相手が何を求めているかを知る能力も必要だろうし、何が効果的かを判断する必要もある。我慢だって必要だ。
だから権利を勝ち取ることは簡単なことではないということは肝に銘じていてほしい。
ローザパークスやガンジーは非暴力を貫いたとはいえ、その人生はきっと闘いの連続だったし、権利を勝ち取るために様々な問題に立ち向かっていったことだろう。
それらが今の世界をどれだけ美しいものにしているかはもはや述べるまでもないと思う。
だから、権利を得ようとする気持ちはいつだって忘れてはいけない。
その気持ちが黒人の権利や女性の権利、動物の権利や労働者の権利を拡大させてきたはずだから。
繰り返して言うが、権利を得るために義務は必須ではない。
上司のたわいのない冗談からこんなことまで考えてしまった。
義務なんてくそくらえ。
この気持ちが世界を変えるかもしれない。
上述したような比較的弱いものに対する権利がどのように勝ち取られていったのかということについては、暴力の人類史の下巻に詳しく載っています。というかこの本以上のものは今のところ私は知りません、下巻から読んでも問題ないので興味のある方は是非手に取ってみてください。