僕たちはいつから動物を差別するようになるのか
誰に教わったわけでもないのに僕たちは人生のどこかのタイミングから当然のように動物を差別するようになる。
おそらく、産まれて「おぎゃー」と言ったタイミングでは動物に対する差別の意識はない。
でも幼稚園や小学校を経験するようになると、当然のように肉や魚を食べ、動物園や水族館が当然のものと思う。鎖に繋がれた犬のこともなんとも感じなくなるし、カブトムシは捕まえて飼育していいことになっている。残念ながら捕まえた虫の育児放棄も認められている。
街には動物のデザインの広告が溢れているし、ネズミのミッキーマウスやくまモンがいて、一見仲良くやってるように見える。でも見えるだけだ。
幼稚園には動物のモチーフの遊具が当然のようにあるけど、そんなの関係なく僕たちは動物を差別する。
それってやっぱり大人が動物を差別しているという雰囲気を子どもが感じ取っているからだと思う。
もっと具体的に言うと『犬は蹴っ飛ばしてはいけないけど、外で飼ってもいいという雰囲気』『蚊は殺してもいい雰囲気(殺したほうが称賛される雰囲気)』『イルカはショーをする雰囲気』『牛は食べてもいいという雰囲気』といったものが僕たちの身の回りにある。そして大人はその雰囲気を作っているということに気づいていないし、子どもは純粋にそれを引き継ぐ。
そういうふうにして僕たちは子どもの頃から動物に対する差別をすすめていくのだと思う。
であるならばやはりそれを打破するのも教育だと思う。学校教育を変えるのは時間がかかるからまずは家庭教育から考えてみてほしい。
あとは大人たちも常識のように、普遍的なもののように感じていることについて、考え直してみてほしい。
僕たちの世代で動物に対する暴力をなくすことはできないかもしれないけど、そういう雰囲気を作って引き渡すことはできる。むしろ下の世代はその風土を加速させてくれると思う。
世の中には動物のデザインが溢れてるのに、動物に愛着がわかないのはなぜだろう。と考えていると、こういう小難しいことを思いついてしまったので書いてみた。
日常のなかで、大人がこういうことを考える機会があればいいんだけどな。