満月なのでご紹介します。

社会問題(特に動物問題)と読書のブログ

義務を果たさない人には権利が与えられないという考え方はどう考えてもまずい

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前に上司に「有給を下さい」と言ったら、「(仕事という)義務は果たしたのか。義務を果たさない人に権利はない」と冗談で言われたことがある。

まぁ、上司もそのセリフが言いたかっただけみたいで、普通に有給はとれたし私も気にも留めていなかった。

良く聞くセリフだなー。仕事しっかりしないとなー。ってな感じで。

 

でもこの考え方っておかしいと最近気付いた。

 

 

義務を果たした人にのみに権利が与えられるというならば、白人にバスの座席を譲らなかったローザパークスは何を行えば座席に座る権利が得られたのだろうか?

かつての奴隷は何を果たせば選挙権を得ることが出来たのだろうか?

子どもが不当な体罰を避けるためには(さらに言えば不当に殺されないためには)何をすべきなのだろうか?

女性がすべての職に就くためには何をすれば認められるのだろうか?

動物たちが彼らの本能を満たした生活を送るためには、動物たちは人に何かしらの貢献をしないとだめなのだろうか?

同性愛者の権利は?少数民族の権利は?

 

こう考えていくと権利を得るために義務は必須ではないと思えてくるのではないだろうか。

だって、義務の対価が権利というならば上述したような権利はきっとずっと手に入れられない。なぜなら義務のハードルが高すぎたり、そもそも義務も権利も与えられていない場合があるからだ。

だから義務にこだわりすぎる必要はないと思うし、義務を果たしていなくても権利を主張する権利は誰にでもあると思う。

 

もちろん、いたずらに権利のみを主張することが正しいとは思わない。それをしてしまっては信頼感が失われ、周囲から人が離れていく危険性だってある。

一部の過激な人達の権利の主張がその問題全体にネガティブなイメージをつけてしまうのは多くの人がイメージできる、あるいは実際に感じていることだと思う。

 

権利を主張し、正当に得るためには周囲の人を巻き込めるような説得力も必要だろうし、理想を押し付けるだけでなく妥協点を模索する能力も必要だと思う。相手が何を求めているかを知る能力も必要だろうし、何が効果的かを判断する必要もある。我慢だって必要だ。

だから権利を勝ち取ることは簡単なことではないということは肝に銘じていてほしい。

ローザパークスやガンジーは非暴力を貫いたとはいえ、その人生はきっと闘いの連続だったし、権利を勝ち取るために様々な問題に立ち向かっていったことだろう。

それらが今の世界をどれだけ美しいものにしているかはもはや述べるまでもないと思う。

 

だから、権利を得ようとする気持ちはいつだって忘れてはいけない。

その気持ちが黒人の権利や女性の権利、動物の権利や労働者の権利を拡大させてきたはずだから。

繰り返して言うが、権利を得るために義務は必須ではない。

 

上司のたわいのない冗談からこんなことまで考えてしまった。

義務なんてくそくらえ。

この気持ちが世界を変えるかもしれない。

 

 

暴力の人類史 下

暴力の人類史 下

 

上述したような比較的弱いものに対する権利がどのように勝ち取られていったのかということについては、暴力の人類史の下巻に詳しく載っています。というかこの本以上のものは今のところ私は知りません、下巻から読んでも問題ないので興味のある方は是非手に取ってみてください。

【感想】瀧本哲史『ミライの授業』は14歳のための冒険と勇気の本だった。

ミライの授業という本が素晴らしかったので紹介します。

ミライの授業

ミライの授業

 

 

 

瀧本哲史さんとは

この本の著者の瀧本哲史さんと言えば、『僕は君たちに武器を配りたい』という本で有名な方です。

僕は君たちに武器を配りたい

僕は君たちに武器を配りたい

 

 

『僕は君たちに武器を配りたい』という本は、社会で戦っている社会人に武器を渡したいという意思の強い本です。

この本も社会人にとっては勇気の書なのですが、今回紹介する『ミライの授業』という本は社会人ではなくて、14歳の少年少女に向けて書かれた本になっています。

 

ミライの授業の冒頭

冒頭はこのように始まります。

14歳のきみたちに、知っておいてほしいことがある。

きみたちは、未来に生きている。

そして大人たちは、過去を引きずって生きている。

きみたちは未来の住人であり、大人たちは過去の住人なのだ。

それは比喩ではなく、事実としてきみたちは、未来に生きている。

その理由を、簡単に説明しよう。

未来には、ひとつだけいいところがある。

それは、「未来は、つくることができる」という点だ。

歴史を振り返ってみれば、いつの時代にも「未来をつくる人がいた。」さびだらけの古い鉄扉をこじ開け、新しい未知の先頭を歩み、時代を少しだけ前に進める人がいた。

彼らを「安い人」や「ロボット」で代用することはできない。

なぜなら彼らは、他の人では絶対にできないこと、自分にしかできないことに取り組んで、古い世界を一新させてきたからだ。誰かが舗装した道路を進むのではなく、自分で道を切り拓き、未来を切り拓いてきたからだ。 

だからきみたちも、未来をつくる人になろう。

 

大人の僕が読んだって素晴らしい文章です。子どもたちを勇気づけるためにも、こういう言葉を子ども達に届けてあげたいと思います。

 

司馬遼太郎の21世紀に生きる君たちへとの類似

私はこの語り口を見て、司馬遼太郎の21世紀に生きる君たちへという本を思い出しました。

21世紀に生きる君たちへという文章の中でも、

私が持っていなくて、君たちだけが持っている大きなものがある。未来というものである。

という、このミライの授業とほとんど同じ内容が書かれています。似ているのは内容だけでなく、語り方もそっくりです。

21世紀に生きる君たちへという本も12歳である小学6年生に向けて書かれた本です。子どもたちときちんと向き合ってきた人たちにとっては12歳や14歳というのは非常に重要な点だという共通認識がおそらくあるのでしょう。

池田晶子さんも14歳に語りかける本を出されています。

生きていく上での優しいヒントがたくさん詰まった本ー『14歳からの哲学/池田晶子』 - animal reading

 

話はそれましたが、21世紀に生きる君たちへは非常に簡潔な短い文章になっています。一度は読んでいただきたい文章です。

対訳 21世紀に生きる君たちへ

対訳 21世紀に生きる君たちへ

  • 作者: 司馬 遼太郎,ドナルド・キーン,ロバート・ミンツァー
  • 出版社/メーカー: 朝日出版社
  • 発売日: 1999/10/22
  • メディア: 単行本
  • 購入: 6人 クリック: 15回
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未来をつくる5つの法則

瀧本哲史さんは本書の中で未来をつくる法則に5つのことを挙げています。

法則1:世界を変えるたびは「?」からはじまる

法則2:冒険には「?」が必要だ

法則3:一行の「?」が世界を変える

法則4:全ての冒険には「?」がいる

法則5:ミライは「?」の向こうにある

それぞれの「?」にはそれぞれ異なる言葉が入ります。ミライを作るために何が必要なのかは是非皆さま自身の目で確かめてみてください。

 

偉人たちのエピソード

その「?」の内容はこれまでに道を切り開いてきた偉人の行動になぞらえて紹介されていきます。

例えば重力を発見したニュートンや、ハリーポッターの作者のJ.K.ローリングのような有名な偉人が紹介される一方、伊能忠敬のお供をした高橋至時や鉄の女サッチャーの夫のデニスなど比較的無名の偉人の冒険が記されています。

本書はわずか250ページの中で20人の偉業を説明されています。子どもにとってはちょうど良い分量だと思います。ただそれでも偉人たちが何を成し遂げてきたのか非常にわかりやすい文章になっています。

 

子どもの頃にこの本を読みたかった

14歳の頃にこんな本が読めたらどんなに幸せだったかと思います。

だから近くに14歳の子どもがいる大人や、小中学生の子どもが周りにいれば、是非この本をプレゼントしてあげてほしいと思います。

私は、子どもたちこの本を読んでわくわくした気持ちを抑えきれないのが目に浮かびます。だって、この本には子どもを子ども扱いせず、子どもたちに夢とか希望とかそういったものを伝えることのできる数少ない本だからです。

 

また、勉強があまり好きではない子どもにもぜひ読ませてあげてみてほしいと思います。

この本では、私たちが学んでいるものの正体を「魔法」だと説明しています。例えば、スマホなんかも魔法の結晶であり、学校で学ぶことは魔法の基礎を学ぶことなのだと教えてくれます。

なぜ勉強が必要なのか。いい学校に入るとかそういうことではないことで、子どもにきちんと説明することは間違いなく大切です。そして、そのように子どもが納得してくれればその子はきっと勉強に対して今までと違った考え方を持てるでしょう。

 

大人のためのミライの授業 

そして、この本は大人にも向けられた本です。

なぜなら本書に登場する偉人たちのほとんどが大人になってから偉業を達成しています。

彼らが大多数の大人と違うのは世界を拓く冒険心に溢れていたこと、そして、先に紹介した世界を変える5つの法則を持っていたことです。

逆に考えればそれらさえ持つことができれば、大人だって未来を変えることが出来ると示しています。

日本地図を作った伊能忠敬は、50歳から学問の道を志しました。

緒方貞子さんは女性として初めて、そしてアジア人として初めて、国連の難民高等弁務官に選ばれた女性です。緒方さんが難民高等弁務官として国際問題の最前線で戦うこととなった時、緒方さんは63歳でした。

 

彼らと同じような道を私たちだって歩むことが出来ます。

今の私にはかつて14歳だった私たちが持っていなかった知識と経験があります。それらだってかけがえのないものです。

だから私は14歳の私に負けるわけにはいきません。

そのためにも常にフレッシュな気持ちでいて、生きていく中で感じる違和感を大切にしていきたいと思います。

そんな気持ちにさせてくれる素晴らしい本でした。

 

ミライの授業

ミライの授業

 

 

 

どうすれば進化の過程で毒を獲得できるのか

ワンピースのマゼランといえばドクドクの実の能力者の毒人間。

彼を見ていて思ったのですが、後天的に毒を獲得するってどういうことなのでしょうか?

毒晴れてるけど基本的にはタンパク質だったりするみたいなので、その大元は遺伝子になるばず。

となると、遺伝の際の遺伝子のエラーが毒の獲得に直結していると考えられますよね。

病原性大腸菌のO-157がこんな感じなんだと思う。

でも、他方で昔っから日本人の食卓に潜り込んで、種を存続させることに成功させた(海外と大阪ではまだ成功していない)納豆菌が毒性を持ったなんてことは聞いたことがない。

 

話はすこしそれるが、私は大学院での研究対象が納豆菌の仲間の枯草菌だった(学術名はBacillus subtilisであり、納豆菌の学術名はBacillus subtilis natto)。実はこの枯草菌は大腸菌の次くらいに研究されている非常に有名な菌で、この生物の遺伝子組み換えによって世界に溢れる様々な有用物質が生産されていたりする。

有名すぎて枯草菌学会なんてのも昔にあったみたい。それで、そういった会議では『枯草菌は古くから人と共に歩んできており、毒素を発生させないので安全な菌である』というフレーズをよく耳にする。

理由はよくわからないが枯草菌も納豆菌も安全ということは学者の証言でもある。

 

こうやって考えると、大腸菌のような後天的に毒素を獲得できる生物はもともと毒素の遺伝子を持っているが、それが発現していないだけであり、遺伝子のエラーによってその眠っていた遺伝子が機能するようになるという考えが正しいような気がする。

他方、納豆菌のような生物は毒素に繋がるような遺伝子を全く持っていないんだろうと思う。

だから基本的には毒に繋がる遺伝子を持たない生物はずっと毒を持たないのだろうと思う。

 

微生物の特徴の一つは、その世代交代の驚異的な早さ(枯草菌は好条件下であれば20分に一回のペースで細胞分裂できる。)であり、そのことで遺伝子のエラーが起こりやすくなっている。

人は一生のうちに数回しか子を産まないことを考えると、同じ期間で考えたときに遺伝子のエラーの起こりやすさに天と地ほどの差があることがわかると思う。

 

ただ、私は私のクローンを1000万回でも何回でも世代交代させ、遺伝子のエラーを引き起こしたとしても、自分が毒を持つとは思えない。

キルアみたいに毒を接種し続ける人種がいれば、その種族は毒を発生できるようになふのだろうか。

 

ちゃんと調べればすぐにわかるようなことを、だらだらと考えてしまった。

八重洲ブックセンターに平積みされていたこの本でも読んでみようか。


 毒々生物の奇妙な進化

毒々生物の奇妙な進化

 

【実体験あり】子どもに読書の習慣を持ってもらうために、なぜハリーポッターが良いのか。

今、私史上最大の読書欲が私を襲っています。

 

きっかけがなんだったのかわかりませんが、少なくとも一つの要因として、読書に関する本を読んだからだと思います。

一冊は昨日紹介した、脳科学者の茂木健一郎さんの『頭は本の読み方で磨かれる』という本。

頭は「本の読み方」で磨かれる: 見えてくるものが変わる70冊 (単行本)

頭は「本の読み方」で磨かれる: 見えてくるものが変わる70冊 (単行本)

 

 

もう一冊は、元外交官の佐藤優さんの『読書の技法』という本です。

読書の技法 誰でも本物の知識が身につく熟読術・速読術「超」入門

読書の技法 誰でも本物の知識が身につく熟読術・速読術「超」入門

 

 

茂木健一郎さんの本は本を読むこととはどういうことなのか、脳にとってどのような良いことがあるのかということを複数の視点から教えてくれる非常に優しい本です。

この本によって、新しい読書の楽しみ方を知れたことが読書欲が高まっている一因だと思います。

 

対して佐藤優さんの本は非常に手厳しいです。

これまでの自分の読書法が間違っていたのではないかとさえ思わされます。

色んな危機感を抱かせてくれる本。書を通じて勉強するということはどういうことなのかということをこれほどまでに明確に教えてくれる本はなかなかないと思います。

「読書法なんて人に教わるものじゃない」という方も、「しょーがないからちょっと見てやるか」くらいの気分で読んでみてください。読書好きなら人の読み方にもきっと興味を持てるはずです。

そして、私がこの本の中で最も衝撃的だったフレーズを以下に挙げます。

標準的なビジネスパーソンの場合、新規互角の勉強に取り組む必要が無く、ものすごく時間がかかる本が無いという条件下で、熟読できる本の数は新書を含め、一か月に6~10冊程度だろう。つまり、最大月10冊を読んだとしても、1年間で120冊、30年間で3600冊にすぎない。

3600冊と言うと大きな数のように見えるが、中学校の図書館でもそれくらいの数の蔵書がある。人間が一生の間に読むことが出来る本の数は対してないのである。この熟読する本をいかに絞り込むかということが読書術の要諦なのである。

 

私は一年間で読んだ本が一番多かったときで年間100冊程度でした。

人生でそんなに多くの本を読めないことには気づいていましたが、実際に計算すると僅か3600冊なんです。

このことを知って非常に焦りました。

だから私は今本を読んでいます。

 

で、今の私の心理状態はこれまでとは違って、他人に本を読んでもらいたい気持ちで溢れています。

なぜかというとそれが脳にとって良いことであり、読書が共感能力を高めることが証明されているからです。

そして、共感能力の高まりが様々な暴力を減少させることも知られています。

だから、本を読んでほしい。

 

そして読書を好きになるためには、まず本を読んでください。

 

この説明には脳科学者の茂木健一郎さんの言葉をお借りします。

うれしいことがあると、脳の中に「ドーパミン」という物質が放出されます。あることをやってドーパミンが出ると、その行動をとる回路が鍛えられる。何かにはまる。依存する。それを司るのかドーパミンなのです。

驚くべきは、人が学習するのは、基本的には悪名高き「中毒(依存症)」としくみが同じということです。

そして、自分には無理だと思っていたことが出来たとき、起こらないと思っていたことが起きたときに、もっともドーパミンが出るといわれています。

あることが苦手だった人の方が、それが出来るようになったときの喜びが強いことは想像に難くありません。

つまり、読書が苦手な人、チャンスです。本を読むのに努力を要する人ほど、本の効果が上がるわけですから。

本をほとんど読んだことのない人ならば、一冊読み切るということに挑戦して、最後まで読みとおすことをおすすめします。読み切れないと思っていたのにできると、たくさんドーパミンが出て読書が少し好きになるでしょう。

自分にとって読み切れてうれしいと、感じられるような、簡単すぎず、難しすぎないくらいの本に挑戦してください。

それを繰り返して行くうちに、いつのまにか読書が楽になって、もっともっと知りたいと読書に積極的になっているはずです。

 

これが読書を好きになるために、読書をしてほしいと言った理由です。

だまされたと思って、一冊本を手にとって頂ければ幸甚です。

 

ちなみに、母親曰く、私にとっての最初の一冊は小学生のころに読んだハリーポッターだったそうです。

ハリー・ポッターと賢者の石 (1)

ハリー・ポッターと賢者の石 (1)

 

この一番最初に出版された辞書のように分厚い一冊です。

この分厚さこそが小学生だった私には非常にハイレベルな本に映っていたことは想像に難くありません。

そしてきっと読み切った後は達成感と自身に満ち溢れていたのだと思います。

これが成功体験となってドーパミンがどばどば溢れて、私は読書好きになれたのだと思います。

振り返ると、人生のどのタイミングでどんな本に出会うのかということが如何に大切であるかということを感じずにはいられません。

もし、小学生のお子さんがおられる方がこの記事を読んでくださっていましたら、ハリーポッターは文庫本ではなく、ハードカバーで読ませることを勧めます。

 

話があちこちに飛びましたが、今私は人に本を読んでほしいと思えるほど、読書欲に満ちています。

その気持ちを皆様と共有できれば非常にうれしいです。

どんな本でもよいので一冊手に取ってみてはいかがでしょうか。

 

 

頭は「本の読み方」で磨かれる: 見えてくるものが変わる70冊 (単行本)

頭は「本の読み方」で磨かれる: 見えてくるものが変わる70冊 (単行本)

 

 

読書の技法 誰でも本物の知識が身につく熟読術・速読術「超」入門

読書の技法 誰でも本物の知識が身につく熟読術・速読術「超」入門

 

 

【感想/頭は本の読み方で磨かれる】読書は脳にとってどのような意味を持つのか。【茂木健一郎】

本を読む人と読まない人がいます。

 

私は本を読む人です。

今、私は一人でも多くの人に読書の楽しみを知ってもらいたいと思っています。

でも、読書って一体なんなのかという思いに至りました。

いや、私は読書が好きなのである程度の回答は出来ます。

自分の人生では味わえない他者の人生を体験することが出来る。過去や未来に簡単に行けて、その世界を体験することができる。歴史上の人物と友人になれる。知識を増やすことが出来る。他人の感情を垣間見ることが出来る。世界を暗い部分も見ることが出来る。

挙げればきりがありません。

ただ、これらのことに対してどれだけ読書というものが優位性を持っているのかということについてはあまり自信がありませんでした。

だから今回は、脳科学者の茂木健一郎さんの『頭は本の読み方で磨かれる』という本を紹介しながら読書について考えていきたいと思います。

 

本を読むか、読まないか。この決定的な違い。

それを脳科学者の茂木健一郎は以下のように述べています。

映画や映像、音楽などもいいのですが、本が一番「情報の濃縮度」が高いことは確か脳に一刻一刻膨大な情報が入ってくるのを、最後に「要するに、こういうことだよね」というかたちにまとめ上げるのが「言語」です。つまり言語は、脳の情報表現の中で最もギュッと圧縮されたものなのです。

その圧縮された言葉をしっかりと受け取れば、脳の中で時間をかけてじわじわと味わいが広がり、一生の肥やしとして消化されていくことになるでしょう。

「本なんて必要ない」と思っている人は、いずれ人生の深みや喜びに差がついて、絶対に後悔することになる。

 これが茂木健一郎の考える本の優位性です。

 

本を読むと共感能力が向上する

1.共感能力が上がる

2.雑談力が上がる

この二つが茂木健一郎が考える読書による効果です。

本を読むと、現実にはありえない状況や、様々な人物の気持ちを想像するトレーニングになると本書では繰り返し述べられます。

そして、そのことが共感能力を高めることに役に立つということは明らかで、実際に科学的見地からも証明されていることです。

 

少し話は脱線しますが、私は今『暴力の人類史』という本を読んでいます。

今、世界はテロの恐怖にさらされ、過去よりも暴力のはびこった世界に身を置いていると考えられる方も少なくないと思います。

しかし、実際はその逆で、人類は世界から暴力を排除することに成功し続けています。世界大戦だってもうずっと起きていません。起きる気配もありません。

そして『暴力の人類史』という本は、人はなぜ世界に溢れる暴力を減少させ続けることができているのかということを膨大なデータから読み解いていく、21世紀の名著の一つです。

そして、その暴力を減少させることに成功した一つの要因が他者に対する共感能力であり、想像力だとされています。

そのうえ、その現代における人類の共感能力の高まりは留まることを知らず、『動物に対する暴力』『女性に対する暴力』『黒人に対する暴力』『子どもに対する暴力』など、優位な人にとってはささいな存在だったものにさえ共感できるようになってきました。

この一因は『暴力の人類史』という本でもやはり、読書が重要な役割を担っていると述べられています。

暴力の人類史 下

暴力の人類史 下

 

 (上述した、動物、女性、子ども等に対する暴力については下巻に掲載されています。)

 

だから私は多くの人に本を読んでほしいと思うようになりました。

この共感能力を磨いて、もっとこの世界から暴力を減少させていきたいから。

では、本当に読書が人生に役立つのかということについても本書では述べられているので次はそちらを紹介します。

 

脳科学の見地からの読書

本を読むとどんないいことがあるのか。

それは読んだ本の数だけ、高いところから世界が見えるということにつきます。読んだ本の数だけ、足の下に本が積み重なっていくイメージです。

この現象を脳科学の言葉で表現するなら、脳の側頭連合野にデータが蓄積されていくということになります。側頭連合野とは、記憶や聴覚、視覚をつかさどっている部分で、その人の経験をストックする機能を持ちます。

つまり、「本を読む」ということは「自分の経験を増やす」ということなのです。

さきほど科学的見地からも読書の有効性は証明されていると述べましたが、それは脳科学の見地からも示されています。

これが私がまさに知りたかった、そして皆さまに伝えたかった読書の優位性の科学的証明です。

 

私が考える読書の優位性

私は、映画よりも本が好きです。それは本の方が丁寧に人物の気持ちを描写してくれるから。もちろん、映画の持つ音楽との共演やダイナミックさにはかないませんが、それでも人の内面を描くという点では本が圧勝だと思います。

だから私は本が好きです。

 

また、これは場合によりますが、実際のスポーツを観戦するよりも、アニメや漫画のスポーツの方が感動できてしまうことが多々あります。

最近では、ユーリというフィギュアスケートのアニメが大ヒットしました。私もすごくはまって、話によっては泣いたりして、そのあとプルシェンコや羽生君のスケートを見たりしましたが、正直ユーリの方が上でした。

きっと私と同じ感想を持った人は少なくないと思います。なぜならば、よほどのファンじゃない限り、実際に演技する人の感情や背景は見えてきません。

そのことを簡単に補完してくれるのが、言葉による内面描写だと思います。

きっとこれと同じ考え方で、Bリーグを見るよりもスラムダンクを読むほうが好きという人がいることでしょう。

 

私たちはリアルの世界に生きています。その世界では他者の気持ちは凄くわかりにくいです。本の世界なんて嘘っぱちだと考える人もいるかもしれませんが、全てが偽りにはなりえないはずです。

人の気持ちに疎い人でも言葉による補完があれば誰だって共感能力を向上させるトレーニングをすることが出来ます。

そして、その最高峰が映画でもアニメでもなく本だと思うのです。

だから繰り返しになりますが私は読書を勧めます。共感能力を向上させるために。

 

まとめ

頭は本の読み方で磨かれるという本は、第一級の読書論の本です。

読書に少しでも関心のある方は是非読んでみてください。

私のブログを読むよりも、読書好きの脳科学者が紡ぐ、至高の言葉や美しい論理展開に触れてみてください。

間違いなく、本の新たな見え方が見つかるはずです。 

頭は「本の読み方」で磨かれる: 見えてくるものが変わる70冊 (単行本)

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【感想/歌うクジラ】旅の先にあるものが私たちに希望をみせてくれる【村上龍】

2022年、ハワイの海底を泳ぐザトウクジラから、人類は遂に不老不死遺伝子を発見する。だがその100年後、人類は徹底的に階層化され、政府の管理下に置かれていた。流刑地に住む15歳の少年アキラは、人類の秘密を握るデータを託され、悪夢のような社会を創造した人物にであうため、壮絶な旅に出る。(あらすじより)

 

この本を発見した瞬間に、クジラの歌というブログを運営する私が読まないわけにはいかないだろうという使命感にかられて読み始めました。

 

村上龍の作品について

唐突ですが、私は村上龍の小説があまり好きではありません。

コインロッカーベイビーズだけは読んだことがあるのですが、人間たちが本能むき出しでエロくてグロいという印象しかなかったためです。

 

でも、クジラの物語ならきっと楽しめるだろうと思ったのですが、何のことは無い。

クジラなんてほとんど物語に関係してこない。

そしてこの物語も本能むき出しでエロくてグロい。

 

なんでこんな小説を読んでしまったのかとずっと感じながら読んでいました。

村上龍文学を2作品しか読んだことが無い私が評するのは本質をとらえていない可能性がありますが、私にとって村上龍の小説はあまりにも暴力的すぎます。

そしてそれこそが村上龍の小説を異質なものにしていると感じます。

 

歌うクジラの異質さ

また、歌うクジラにおいては、『敬語の退廃』『あえて助詞を崩す人たち』『ボノボの生活を目指した人たち』など、文化的に現代とはかけ離れた時代が舞台です。

そしてそれらは不老不死遺伝子が発見されたことによる徹底的な階層化によるものだといいます。

この異質な世界の最下層である流刑地に生まれた人物こそが主人公のアキラです。

アキラは流刑地を無理やり脱出して、ただ一つの目的地へと突き進みます。

処刑される直前の父親から渡された世界を転覆させるというデータをある人物に渡すために。

その道中で、仲間を得ては仲間を失い、様々な過酷な目にあいながらそれでも目的地へと突き進みます。

いいことなんてほとんどない。笑うこともない。

 

世界観もそうですが、アキラを含めたほとんどの登場人物も現代人と全く思考回路や感情の動きを持つため非常に感情移入しにくいです。

ただそれでも読者を離さない、そんな小説を描くことができる村上龍の才能も素晴らしいとは思います。

 

この小説から何を感じるか

この記事を書くにあたって複数の方の感想を拝見させて頂きましたが、この小説は現代の風刺だという感想が多く見られました。

確かに、文化的に退廃した姿や階層化が起こす事象について考える一つのきっかけにはなりました。

 

それでもそもそもクジラに関する小説を読みたいと思っていた私にとっては退屈な感情を抱いたまま読み続ける必要がありました。

そんなこんなでどうにか頑張って、上巻を読み終えると下巻の帯には『紡ぎだされる新たな希望のかたち。』とか書いてあるんですよ。

嘘だろ。と。

こんな物語に希望なんてあるわけないと読み進めました。実際、やっぱりほとんど希望なんてなかったです。

主人公の持つ力と社会が持つ力に圧倒的な差があったため、爽快感もありません。

アキラはとてつもない距離を旅しますが、自身で目指しているのは最終目的地だけで、そこに至るまでの過程は全て受け身です。

そもそも目的とする人物がどこにいるのかもアキラは知らず、流刑地をほとんど離れたこともないのでアキラ自身ではほとんど行き先を決定できないのです。

一方で、その場その場の行動をどう決定するのかという点に関してはアキラは明確な意思を持って行います。

 

ただ、それでも過酷な旅に変わりはなく、アキラを助けてくれた多くの人が殺害されてしまいます。だから私はこの小説に最後まで希望は見いだせませんでした。

ただ、この物語の最後にアキラが一つの明確な答えにたどり着きます。

その最後の答えはアキラと一緒に壮絶なな旅をした読者にしか共感しえないと思うのでここでは記載しません。

ただ、アキラの旅もこの小説も間違いなくほんの10ページの最終章のためだけに紡がれたのだと理解しました。

最後の最後まで退屈な小説でしたが、最終章の素晴らしさ、アキラがたどり着いた答え、そしてそれに伴う読後感だけは圧倒的でした。

それらを希望と呼ぶのかもしれません。

この最終章のためだけにでも読む価値はあると断言できます。

 

よしもとばななによる解説のすばらしさ

そして、よしもとばななによる解説も素晴らしい。

難解な小説の解釈はやはり難しく、読者が孤独感にさいなまれる可能性すらあると思います。

でも、この小説は最後によしもとばななが寄り添ってくれる。この小説は難しいって言ってくれるし、自分が読みながら感じたことが間違いじゃないと教えてくれる。

解説があってこそ光る小説というものを始めて読みました。

 

よしもとばななの本も少なからず読みましたが、それらと比較しても本書の解説は素晴らしい文章だと思います。吉本ばななファンにも是非手に取っていただければと思います。

 

まとめ

非常に暴力的な小説です。全ての人にお勧めできるような小説でもありません。

ただ、それでも最後までアキラと一緒に旅をした人にしかわからない壮大な感動が待っています。

少しでも興味を持ってくださった方には、是非読んでいただきたい作品です。そしてその感想を共有させていただけたらこんなに嬉しいことはないです。

 

歌うクジラ(上) (講談社文庫)

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歌うクジラ(下) (講談社文庫)

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