満月なのでご紹介します。

社会問題(特に動物問題)と読書のブログ

著者をヒリヒリさせるほどの感想を書けていますか?自分の考えを述べることの重要性。

ちきりんのツイートがきっかけで色々考えたので聞いてください。

 

ここで僕にとって新鮮だったのが、『引用は少ないほど良い。最近のエントリは本からの引用を一切していないことに満足している。』という考え方です。

僕は本を紹介する場合、筆者の思考や論理展開をキレイに伝えるために、できるだけ的確な場所を引用しなければならないと思っていました。そうすることが僕のブログの読者にとってもいいことだとも。

だって、ちきりんのロジックは、SNSの発信者として引用ばっかりの記事は面白くないよね。というものです。

だから、本の紹介者としての立場はどうなのだろう、より多くの人に本を届けるためには引用を多めにした方がいいんじゃないの?とツイートをみたときに思ったんですよ。

でも、よくよく考えてみると僕のブログでも引用なしで売れている本があるんですよね。その記事を読み返してみると、そういうのはブログの文脈と本の紹介に一体感があってしかも、自分の感想しか書いていない。

 

そういう記事で本が売れることをポジティブに捉えると、検索で僕の記事にたどり着いてくださった方が僕の記事を読んで、その文脈を信用してくれたことに他ならないですよね。

でも、これもよく考えたら特別なことじゃありません。本の巻末にある解説というものがまさにそう。群を抜けた解説というものは、本の内容に触れるか触れないかのギリギリのところを攻めながら本の内容を数倍も面白くする。第三者の目線を持ってくることで、本の内容に深みを持たせることを達成しています。そして時には著者に新たな気づきを与える。これは著者にとって本当にありがたいことと思います。

(ちなみに、小説で解説が素晴らしいのは『村上龍/歌うクジラ』のよしもとばななさんの解説。実用書だと『見城徹/編集者という病い』の小池真理子さんの解説です。)

 

本当に素晴らしい解説には愛を感じます。そしてそれに触れると時に何も書けなくなるほど圧倒されて落ち込みます。でも、著者が死ぬほど苦しい思いをしながら書いた本を評価するということは、それなりの覚悟を持って自分の考えをぶつけないと失礼なことだと気付きました。

 

幻冬社代表の見城徹があらゆる本で言っていますが、尾崎豊と仕事をしているときには自殺を考えたと。それほど肉薄した関係を結んでいた。

それに比べるとブログで本の感想を書くということがいかに安全圏にいるか認識します。でも、それじゃ、誰かを動かすことはできません。

間違っててもいいから、そのとき自分が考えたことを全体重をかけて表現する。そうすることで本の著者と切り結ぶことができ、ブログの読者をも動かすことができます。

これからはそのような記事を書いていきます。それに気づかせてくれたちきりんのツイートでした。

 

これらの本には素晴らしい解説が掲載されています。ぜひこちらの解説も参考にしてみてください。

歌うクジラ(上) (講談社文庫)

歌うクジラ(上) (講談社文庫)

 

 

編集者という病い (集英社文庫)

編集者という病い (集英社文庫)