どれくらいの金額なら寄付できるのか?寄付が社会を変える。
最近いくつか寄付に関する記事を書いています。
ブリトニースピアーズの寄付額1億円って私たちにとっての何円なのか検証した。 - animal reading
イケダハヤトさんが寄付する優しい理由。 - animal reading
個人的に日本ももっと寄付文化が進んでほしいんです!
それもお金持ちの人がやることじゃなくて、誰でも気軽に楽しくやってみてほしい!
だから、今回は私たち一人一人がどれくらい寄付すべきなのかっていう超個人的な見解を述べていきたいと思います。
日本の寄付市場と世界の寄付市場
寄付白書2015によると、日本の寄付市場は1.5兆円。(個人寄付が約7400億円、企業寄付が約7000億円とのことです。)
これに対してアメリカは27.3億円です。
その差は18.2倍です。
では、GDPの差はどれくらいなのかというと。
アメリカが18,569 10億USドルに対し、日本が4,938 10億USドルです。その差は3.7倍です。
(世界の名目GDP(USドル)ランキング - 世界経済のネタ帳より引用)
GDP差が3.7倍なのに、寄付金額の差が18.2倍というのはなんとも寂しい気がします。
もちろん、GDPだけで比較できるものでもないですし、政府が税金をどう捉えるかなどの政策面でも変わってくるものだとは思いますが、日本ももうちょっと寄付できる体力があるんじゃないかとは思います。
どれくらいの金額なら寄付できるか?
では、一個人の私たちが一体どれだけの金額を寄付できるのかという話になります。
正直、自分のお金を誰かに渡すというのは結構ハードルが高いです。
このお金があればあれが食べれたのに。買えたのに。と思うのは当然だと思います。
だから、自分にとってつらい寄付は長続きしないと思います。個人的に私は楽しく寄付したいので、以下の考え方が自分の指標になっています。
私は個人的に、『なくなってもほとんど気付かないような金額』ならば寄付してもいいかなと考えています。
社会人の私の場合はこんな感じです。
一日なら、500円くらい、ひと月なら3000円くらい、一年なら、2~3万円くらい。これらの金額であれば自分が知らない間になくなっていても正直気付かないし辛くないと思っています。
だから、これくらいの金額は寄付に回してもいいかなとは考えています。
あなたならどうでしょうか?
寄付が社会を変える。
先述したように日本の寄付市場がもっと盛り上がればいいと思います。
寄付金額が増えることも望んでいますが、それよりも私は今よりも多くの人が寄付できるような国になってほしいと思います。
なぜならば、寄付をすれば意識するからです。
日本だけに関わらず、世界には数多くの種類の社会問題が存在します。
それらのうちの一つでもいいので、私たち一人一人が何かしらの問題意識をもって寄付する。政府主導じゃなくて、私たちが直接、これだけは解決したいという対象いお金を寄付する。これは私はすごく素晴らしいことだと思います。そこに金額の多寡は関係ないと思います。
だからまずは100円からでもいいので寄付に挑戦してみてほしいと思います。
一緒に社会を良くしていきましょう!!
参考文献
サバクトビバッタ長殺し『バッタを倒しにアフリカへ』
ベストセラーというものはときに、一瞬かもしれないが、社会を変える力があると思う。
なぜならば、ベストセラーになった瞬間に、関心の低い人にも手に取ってもらえる可能性が高まるからだ。
最近で非常にニッチな分野にも関わらず、何故かベストセラー本になったものと言えば、『応仁の乱』と今回紹介する『バッタを倒しにアフリカへ』という本なのかなと思う。
しかしこれらの分野についてこれらの本がベストセラーになる前から関心が合った人なんて皆無のはずだ。
応仁の乱の首謀者とか応仁の乱の大義名分が言える方なんてほとんどおらず、サバクトビバッタっていうバッタがいることも知らない人が日本人口の9割くらいは占めると思う。
2017年の上半期はそのハードルを軽く飛び越えていく、ベストセラー本の威力をまざまざと見せつけられた。
ベストセラー本の条件というものが何なのかわからない。もしかしたら内容に関係のない部分で決まってしまう場合もあるのかも知れないが、この『バッタを倒しにアフリカへ』という本は本当に面白い。
まず、舞台がアフリカのモーリタニアという国。
そして研究対象がサバクトビバッタ。
サバクトビバッタの大量発生による蝗害(こうがい)=神の罰を食い止めるための研究。
ただ、これだけのぶっとんだ設定があっても面白くないものは面白くない。
なぜこの本がこんなにも売れてしかも面白いのかというと、この人の狂気に満ちたキャラとユーモアあふれる文章だ。
例えば、前野さんの夢は、「バッタに食べられること」だそうで。。。
下の写真はブログから拝借した、著者自身がサバクトビバッタに食べられようとしている場面だ。(バッタは緑のものに寄ってくるらしい。)
ちなみに、著者はバッタを触りすぎたせいでバッタアレルギーになってしまったそうだ。
はてなダイアリーで文章は普段から書いておられるので、興味のある方はそちらを観てほしい。
この本の書評は多くの方がされているので私からはしない。
ではなぜ、私がこの記事を書いたのかというと、ファーブル昆虫記をよんで虫の魅力にはまって、虫を愛しすぎて虫に食べられたいと思った末に、サバクトビバッタ殺しに変身してしまった著者の心理がヤバ過ぎると思ったからだ。
愛ゆえに愛を捨ててしまったラオウ化のようなもので、日本にラオウが大量発生しないためにもこの心理はきちんと把握しておくべきだと危機感を覚えた。
ちなみにもしかしたらこういう心理は、『鳥類学者だからって、鳥が好きと思うなよ』にヒントがあるかもしれないと思い、私は次にこの本を買おうと思っている。
今回私は『バッタを倒しにアフリカへ』が日本中でたくさん売れることによって、多くの人が生き物にもっともっと関心を持ってくれたらなと思って買ったのだが、著者のキャラクターが強すぎて、前野ウルド浩太郎自身に関心のほとんどを持って行かれたことは少し悔やまれるところではあったが、大いに笑わせて頂いた一冊となった。
堀江貴文著『すべての教育は「洗脳」である』に洗脳されないでほしい。
堀江貴文、通称ホリエモン。
私はこの人の考え方が好きで、著書も少なからず読んできました。
特に、最近ベストセラーとなっている『多動力』は非常に面白く、このブログでレビューもさせていただきました。
確か、多動力で堀江貴文氏が書いていたことの一つに、私(堀江貴文)にインタビューするならば、最低限書籍には全て目を通せというものがありました。
私は堀江貴文氏が殺処分をはじめとする社会問題にどれだけ関心があるのかということを調べるためにまんまとだまされて堀江貴文氏の本を読みあさっています。
そのなかで、多動力と共に書店でよく紹介されているのが、今回紹介する『すべての教育は「洗脳」である』です。
超簡単に内容を紹介すると、タイトルにもある通り、全ての教育は洗脳なのでその洗脳から脱してほしいということが書かれています。
(ちなみになぜ、教育がこのようなかたちをとったのかということを堀江貴文氏は以下のように述べている。産業革命で工場というものができた結果、その工場での仕事に適応するためにある程度の基礎的な学力、忍耐力やコミュニケーション能力を持った均一な人的資材が必要になったからだとのことです。)
いい学校に入学して、いい会社に入社して人生を終えるのが素晴らしいというのも堀江貴文氏の言う洗脳であり、多くの学生や社会人が必死にこのルートに乗ろうとしている一方で、堀江貴文氏やイケダハヤト氏のように完全にルートを外れて楽しんでいる人もいます。
そしてそのようにして成功している人を見ると、もしかしたら現代はこの洗脳から脱する過渡期にあり堀江氏の提言はその過渡期のブースターのようなものなのかなと思います。
ただ、私はこの本を読む人や読んだ人に一つだけ伝えたいことがあります。
それは、教育の価値を貶めないでほしいということです。
確かに、教育が洗脳ということも認めます。私自身、堀江貴文氏の言う洗脳を受けて、良い高校、良い大学、良い企業というレールに乗ろうと努力した一人です。
だからこそ、堀江貴文氏の言うそのようなレールのあほらしさも少し体感できている部分があります。
脱洗脳、これは今の私だけじゃなく多くの人にとっての課題であることは間違いないです。
しかしながら全ての教育が洗脳なのでしょうか?
教育を受けれない悲しさというものを考えたことはありますか?
文字を読むことを教わらなかった母親がどのようにして子どもに本を読み聞かせてあげればいいのでしょうか?
世界でも日本でも教育を受けれなかった人たちの辿る人生というものは多くの場合、非常に苦しいものがあります。教育と犯罪や貧困の間には確かな相関性がることはよく知られています。
その一方で彼らの学習意欲や知的好奇心は素晴らしいものです。
そんな彼らを正しい方向に導くものの一つが教育だと思います。最低限の教育は誰にでも必要です。たとえその一面に洗脳があったとしても。
だから私は『教育=洗脳』は成り立ったとしても『教育=不要』とは思ってほしくありません。
教育が貶められた世界は恐ろしいと思います。
堀江貴文氏が私たちに問うているのも、洗脳の一面を持つ教育と如何に付き合っていくのかということだと思います。
この本は全ての教育は洗脳であるということだけを述べているのではなく、堀江貴文氏が考える人生の楽しみ方が満載されているため、多くの人にお勧めしたい一冊なのですが、その一方で教育の価値を貶める人が出てこないか心配になる一冊でもあります。
だからこそ、今回このような記事を書かせて頂きました。
忙しさや時間のなさが共感のような大切な感覚を奪っているかもしれない。
長らく動物愛護・福祉のことを書いていきました。
その中で感じてきたことの一つが、『犬や猫の殺処分を減らそうという考え方は倫理的に考えて明らかに正しいのに、なぜいまいち共感が得られないのだろうか』ということでした。
このことについて私なりの2つの答えが見えてきたのでそれを紹介したいと思います。
私たちが動物を殺す理由
私たちが私たちのために動物を殺す場合には大きく分けて2つの場合が考えられると思います。
①人にとって有効活用できるので殺す場合
人が食べるために命を頂戴する。あるいは、衣服・漢方・動物実験に使用する等です。
②人にとって有害なので殺す場合
田畑を荒らす、伝染病を感染させる恐れがある等です。
この2つのパターンに関しては、多くの人が積極的に反対はしないと思います。むしろ、無意識の内に賛成している場合がほとんどでしょう。
私も、彼らの生活環境については今よりももっともっと考慮する必要があると思いますが、大きく反対はしません。
では、犬や猫の殺処分はどうでしょうか。
①人にとって有用だから殺すというのは当てはまりませんね。
②人にとって有害だから殺すというのは一見あてはまりそうです。捨てられた犬や猫長期間を飼育するには相当のコストがかかる。だから殺処分は正しいという考え方です。
これはどうでしょうか。
犬や猫が殺処分されているのは、野生の犬や猫が大繁殖しているからではありません。人が販売するために大量生産して、売れない、あるいは飼えなくなった犬猫が保健所に送られ、殺処分されている場合がほとんどです。
こう考えていくと根本の原因は人間にあるので、②も私は本質的には成り立たないと考えています。
余談ですが、現在動物保護団体や一部の行政の活動によって、捨てられた動物たちの殺処分は減ってきています。ですが、ペットの流通の上流に位置するブリーダーや販売者をこの状態のまま放置していることが根本原因だと考えられています。
だから、多くの見識ある方々がこの上流の規制を強めたいという意識を持って動いています。
詳しくは『犬を殺すのは誰か/ペット流通の闇』という本を参照してください。
なぜ動物愛護・福祉が浸透しないのか
さて、動物の殺処分は人にとって有用でもなければ、有害だから殺処分しているのでもないということがわかりました。
そうであるならば、綺麗事ではありますが、殺処分はやはり誰のためでもないわけで、もっと多くの人が認識を改め努力すれば無くせる可能性が高いものだと感じるのではないでしょうか。少なくとももっと大幅に減らせるはずです。
ですが、ほとんどの人が動物の殺処分に関心がない。
その原因の一つが、私たちの余裕がないことであり、もう一つが動物の殺処分というネガティブなものに携わりたくないという考え方なのではないかと感じました。
以下にその理由を述べていきます。
①私たちの余裕がないことについて
これは動物福祉ではなく、貧困問題に貢献している湯浅誠氏の『ヒーローを待っていても世界は変わらない』という本に書かれていました。
単純に言って、朝から晩まで働いて、へとへとになって九時十時に帰ってきて、翌朝七時にはまた出勤しなければならない人には、「社会保障と税のあり方」について、一つ一つの政策課題に分け言って細かく吟味する気持ちと時間がありません。
子育てと親の介護をしながらパートで働いて、くたくたになって一日の火事を終えた人には、それから「日中関係の今後の展望」について、日本政治と中国政治を勉強しながら、かつ日中関係の歴史的経緯を紐解きながら、一つひとつの外交テーマを検討する気持ちと時間がありません。
だから私は、最近、こう考えるようになりました。民主主義とは、高尚な理念の問題というよりはむしろ物質的な問題であり、その深まり具合は、時間と空間をそのためにどれくらい確保できるか、という極めて即物的なことに比例するのではないか。
湯浅氏は多くの人が社会が抱える問題に目を向けれないことを意識の問題ではなく、時間がないこと、話し合う空間が無いことが問題だと述べています。
著書ではその問題を解決することは非常に難しい問題ではあるが、そのような場所と時間を作ることこそが自分たちの役割なのではないかと書かれています。
このことは動物の問題についてもあてはまると思います。多くの人が共感できるであろう殺処分の廃止についてなかなか共感が得られなかった一因は時間も空間もなかったことなのでした。
しかも私たちが抱える問題は動物のことだけではありません。保育園の問題や貧困などの問題を抱えながらなんとか時間を確保したとして、はたして動物たちのことを思える人がどれだけいるでしょうか。
これが動物の問題でなかなか共感を得られない一つの理由です。
これも余談ではありますが、私はこのことを知ってから、会社から早く帰ることにあまり罪悪感を持たなくなりました。
それどころか仕事の効率を上げて少しでも会社から早く帰ることが社会問題の解決につながると信じられるようになりました。
会社から早く変えることが難しい場合も多くあるとは思いますが、このような考え方を持ってみるのも大切だと思います。
②ネガティブなものを見たくないという精神
①で述べたように私たちには時間があまりありません。このことも日本が抱える問題の一つといってよいでしょう。
では、その時間のないなかでネガティブなものに目を向けたいでしょうか。
目を向けたくないのが現実だと思います。
しかも『死』というのは非常に強烈です。しかし、動物問題の多くの場合、それは苦痛や死に終着します。疲れ果てた中でそのことを学び、共感することのハードルの高さは考えてみれば当然でした。
そんなものを目にするくらいならば、何も考えずにバラエティ番組を観たりする方が人間の心理として正しいと思います。
だから動物問題に関心の薄い人を巻き込むためには、ネガティブなもの(例えば、動物たちが如何に悲惨な環境に身を置いているのか)ということを伝えるのだけではなく、救われた動物たちが如何に幸福な生活を送っているのか伝える。このことが重要になってくるのではと思いました。
まとめ
長らく感じてきた動物問題がなぜ共感を得られないのかということについて私なりに分析してみました。
この記事を読み返してみても、残酷な描写や画像の添付はしていないにしても、殺すという文字や死という文字がたくさん使われていて、ネガティブよりになってしまったなと少し反省しています。
ですが、3連休のなか日という私たちに余裕のある今日この記事を書いておきたいと思いました。
2年間くらい動物のことを書いてきましたが、この記事を書き終えて一つの集大成のようになったなと感じています。
私の記事が何かのヒントとなって、動物問題が少しでも進展することを願います。
参考文献
記事中でも少し触れさせていただいた本。ネガティブ満載なので、本気で動物の問題を知ろうという人以外には少しオススメできない。
でもこの本ほどにペット流通の闇を深く取材した本は無いと思うので、関心のある方は覚悟が出来たら読んでみてほしいと思う。
殺処分を廃止したい人にとっての必読の書だと思っています。
この記事を書くきっかけになった本。著者の湯浅誠氏は貧困問題に立ち向かう社会活動家ではあるが、日本の社会問題を考える上でのキーパーソンだと思う。
社会問題に興味がなくとも、民主主義ってなんだろう。どういうところに問題があるんだろうという疑問を持っている方がいれば是非読んでみてほしい。
きっと今まで考えてきたこともなかった民主主義の問題が見えてくるはずだと思う。
動物の問題を考える上で、最もポジティブな本の一つだと思う。表紙からして悲痛な感じは全くない。
この本は動物法を日本とアメリカで学んだ経験を持つ学生が書いた本です。本庄萌さんという方なのですが、アメリカ、ドイツ、イギリス、スペイン、ロシア、ケニア、香港と日本の計8カ国のアニマルシェルターを見て感じたことが書かれています。
世界の進んだアニマルシェルターではどのように動物が生かされているのか、どのように人に対する啓もう活動が行われているのかということを知る上で非常に重要な本になっています。
ほとんど残酷な描写はなく、日本を含め多くの人が動物たちを救うためにどのような工夫をしているのかということなどが書かれています。
ちなみに表紙の犬は、後ろ足が不自由にも関わらず、専用の道具まで作ってもらって元気に走り回っているそうな。
2017年5月に発売されたばかりの本なのですが、このような本が出てくるあたり、やはりポジティブなものが社会問題を解決する上で重要と捉えられてきたのではないのかと思っています。
ほんの少しでも動物の問題について考えてみたいという人がいれば、まず最初に読んでみてください。
田舎にも本屋が欲しい!そして本屋や書店員さんに投資をしたい!!!
田舎に住んでいる。
本屋が無いことだけに関しては本当に苦労している。
田舎の本屋
あるのはゲームショップとフロアを二分化したような本屋で、本屋のうちの1/2が雑誌で、1/4が漫画で、残りの1/4が文芸書って感じだ。
するとどうしても欲しい本はamazonで買うか、週末に都会に出てたくさん本を買って帰るようなサイクルになってしまう。
だから田舎の本屋がすたれる。
↓
だから欲しい本はamazonで買う。
↓
本屋がすたれる。。。
↓
悪循環。
本屋のこと
いやいや私だって書店の厳しさは知らないわけじゃないんですよ?
書店ガールを1冊読めば今の本屋がどれだけハードなのかわかる。体力的にも経済的にも。
あるいは、重版出来を読めば出版社の方や作家の方がどれだけ頑張っているかわかる。
私が本屋で本を買いたい理由
だから書店に行って本を買って、特に書店員さんにお金が回るようにしたいと思っています。多分、人一倍思っています。
識字率がほぼ100%の日本に暮らしていると感じることもありませんが、識字率が低い国や地域の子どもたちにとって、本は宝物であり、本を読めるようになることは何よりも誇り高いことなのです。
だから、本に携わる仕事は将来にたくさん残してあげておきたいんです。
これが私の考える社会のためのお金の使い方のひとつです。
でも、その本屋がない。あっても欲しい本がある可能性が低い。。。
残念ながらそれが田舎の現実です。
学力と本の関係性
私はそこそこ偏差値の高い大学に行っていましたが、(急に何を言う)、そこにいる人たちに共通したことはよく本を読むということでした。
私が所属していたのもバイオテクノロジー関連の学部でしたが、それでも中学・高校・会社にいる人と比べて明らかに読書が習慣になっている人が多かったです。
田舎は都会に比べて学力が低くなる傾向にあるという調査も目にしたことがあります。
もちろん、有名な塾や予備校、あるいは学校が無いというのが直接的な要因だとは思います。
しかし、その学力差が本屋の数と関連すると考えるのは、あながち的外れではないと思います。
最後に
田舎にいる人たちも自分たちの子どもたちの将来のためにも、手に入る本は出来る限り地元の本屋で買おう。
こうすれば誰も損しないので。
そういう取りとめのない話でした。
でも、大切だと思います。
イケダハヤトさんが寄付する優しい理由をしっていますか?
寄付のことをグーグルで調べていたら、こんな記事に行きつきました。
この記事、実はブロガーならほとんどの人が知っているイケダハヤトさんが書かれた記事です。
私自身はブログによるマネタイズはそこまで興味がなかったので、イケダハヤトさんのことはほとんど興味がありませんでした。(正直、今もそんなに興味は無いです。)
そんな私のイケダハヤトさんの情報としては、いつも炎上している。なぜか多くのブロガーが目の敵にしている。カネの亡者っぽく言われている。
こんなところでしょうか。
でも私は単純なので、イケダハヤトさんが寄付をしているというだけで一気に共感が湧きました。
繰り返します。
カネの亡者っぽいイケダハヤト氏、寄付をしている。
リンク先にはイケダハヤトさんの寄付先も記載されていますので関心のある方は、覗いてみてください。
そして、イケダハヤトさんいいこと書くなぁー。と思った一文があったので紹介したいと思います。
NPO業界の課題としてあるのは、すばらしいことをやっている人たちが、薄給であることです。スタッフへの給料が低いだけでなく、「給料がなくて新しいスタッフを雇えない」ということも頻繁にあります。いやー、よくないと思うんですよ。報酬はちゃんともらわないと。いい人集まってこないですから。
微力な努力ですが、ぼくがNPOに積極的に寄付するのは、NPO業界の給与水準を向上させたいからでもあります。「会社に就職・転職するように、NPOに就職・転職する」ような時代が早く来ないと、日本はヤバいと思っております。
まさにその通りだと思うのですが、一体日本人のうちどれだけの人がNPOの給与水準について危惧しているだろうということです。
逆にいえば、給与がいいだけで日本の社会運動は一気に進むと思うのです。
例を挙げると、途上国の、本を読めない子どもたちのために図書館を15,000室以上作り、女子児童の識字率を向上させる支援をしているroom to readという団体の代表、ジョン・ウッドは元マイクロソフトの社員です。
その奮闘記は『マイクロソフトでは出会えなかった天職』という本に詳しく書かれています。
やはり思うのは、本当に優秀な人がよりよい社会の実現に関心が無いわけないということです。
だからイケダハヤトが寄付を行う理由については非常に共感できます。そしてこのことのみでもイケダハヤトさんは私にとって尊敬に値する方だと思いました。
是非皆さまも成功しているブロガーのマネタイズの部分だけじゃなくて、こういった優しい一面も理解していってほしいと思います。
ちなみに記事の中で紹介されていた駒崎弘樹さんの『社会を変えるお金の使い方』という本も必ず買うと決めました。
余談ですが、駒崎弘樹さんは病児保育という社会問題に取り組んでいるフローレンスというNPOの代表です。
働くお母さんにとって子どもが病気になったときの対応が大きな問題となっていましたが、駒崎さんの働きによって病児保育が広く認識されるようになったのだと思います。
もちろん、フローレンスが専門とするのは病気の子どもを預かる活動です。
その団体の立ち上げに関する奮闘記が本になっています。駒崎さんがどのような方か知らない人はまずはこちらの本を読んでみてほしいと思います。。