すいません、ほぼ日の経営。を読んで、僕の行動指針がやさしく、つよく、おもしろくになりました。
すいません、ほぼ日の経営という本を読みました。
今回はその感想です。
やさしく、つよく、おもしろく
これはほぼ日の行動指針です。ちょっと長いのですが、とても素敵なので全文
やさしく
私たちの会社が社会に受け入れられるための
前提となるものです。
相互に助け合うということ、
自分や他人を「生きる」「生かす」ということです。
つよく
企画やアイデアやコンテンツを、
会社として、組織として「実現」「実行」できること、
現実に成り立たせることです。
おもしろく
新しい価値を生み出し、
コンテンツとして成り立たせるということです。
「ほぼ日刊イトイ新聞」や「TOBICHI」のように
「場」を生み出し、ひとが「場」に集まる理由です。
これが、ほぼ日の強みです。
ほぼ日は、この言葉の順番もたいせつにしています。
まず「やさしく」が、おおもとの前提にあり、
「やさしく」を実現する力が「つよく」です。
その上に、新しい価値となる「おもしろく」を
どれだけ生み出せるかが、ほぼ日の特徴です。
これは今の僕の行動指針にもなりました。
やさしさを発揮しようとするのって、そんなに難しくないです。寄付をするとか保護をするとか支援するとか。
でもそれを実際に行動するつよさになると、「ちょっとそこまでは、、、」という人は多いと思います。
さらにそれを行動して周りの人にも行動を促すおもしろさになると、もっと難しい。
でもそれができないと色んなものって回っていかないなと思っています。
だから僕は自分の中にあるちょっとした『やさしさ』を『おもしろさ』にまで持っていけるよう考えるようになりました。
例えば、友達と一緒にヴィーガンレストランに行ってみる
僕は、おもしろさの中には気楽さが含まれていると思っています。
気楽じゃないとおもしろくないし、持続しないという考えがあるからです。
そんな意味で簡単に友達を動物福祉とか環境保全に巻き込める一つのやり方として、友達とヴィーガンレストランに行ってみるというのをやってみました。
「肉食うなよ。動物かわいそうやんけ。」じゃおもしろくないし、持続しない。
だから話す内容も美味しさについて。牛丼とどう違うのか、意外といけるのかなどの方が楽しくていいなと思っています。
おわりに
ちょうど、すいません、ほぼ日の経営を読んでいた頃に、DMMの亀山さんも「金儲けができるやつにやさしさを教えるより、優しいやつに金儲けを教える方が簡単だ」と言っていました。
たしかにその通りです。しかも今はまさに、やさしさを強いビジネスにしている人が多く世に出てきているように感じています。自分が当事者になれなかったとしても、そういう人たちと一緒に頑張っていけるような社会にできればと思いました。
僕たちはいつから動物を差別するようになるのか
誰に教わったわけでもないのに僕たちは人生のどこかのタイミングから当然のように動物を差別するようになる。
おそらく、産まれて「おぎゃー」と言ったタイミングでは動物に対する差別の意識はない。
でも幼稚園や小学校を経験するようになると、当然のように肉や魚を食べ、動物園や水族館が当然のものと思う。鎖に繋がれた犬のこともなんとも感じなくなるし、カブトムシは捕まえて飼育していいことになっている。残念ながら捕まえた虫の育児放棄も認められている。
街には動物のデザインの広告が溢れているし、ネズミのミッキーマウスやくまモンがいて、一見仲良くやってるように見える。でも見えるだけだ。
幼稚園には動物のモチーフの遊具が当然のようにあるけど、そんなの関係なく僕たちは動物を差別する。
それってやっぱり大人が動物を差別しているという雰囲気を子どもが感じ取っているからだと思う。
もっと具体的に言うと『犬は蹴っ飛ばしてはいけないけど、外で飼ってもいいという雰囲気』『蚊は殺してもいい雰囲気(殺したほうが称賛される雰囲気)』『イルカはショーをする雰囲気』『牛は食べてもいいという雰囲気』といったものが僕たちの身の回りにある。そして大人はその雰囲気を作っているということに気づいていないし、子どもは純粋にそれを引き継ぐ。
そういうふうにして僕たちは子どもの頃から動物に対する差別をすすめていくのだと思う。
であるならばやはりそれを打破するのも教育だと思う。学校教育を変えるのは時間がかかるからまずは家庭教育から考えてみてほしい。
あとは大人たちも常識のように、普遍的なもののように感じていることについて、考え直してみてほしい。
僕たちの世代で動物に対する暴力をなくすことはできないかもしれないけど、そういう雰囲気を作って引き渡すことはできる。むしろ下の世代はその風土を加速させてくれると思う。
世の中には動物のデザインが溢れてるのに、動物に愛着がわかないのはなぜだろう。と考えていると、こういう小難しいことを思いついてしまったので書いてみた。
日常のなかで、大人がこういうことを考える機会があればいいんだけどな。
30歳になった。
30歳になった。
今、一番強く頭にあるのはよく30年も生きたなぁ。ということです。
30年も生きてるとそれなりに大変なこともあったし、大切な人の死もあったし。それでもなんだかんだ生きてこれたことに感謝してます。
で、もう一つ思うのは、僕は地球上で何番目くらいに年寄り何だろうということです。
生物には寿命が決められていて、日本人だったらだいたい83歳くらいで、ナイジェリアだと52歳くらい。北朝鮮は意外と70歳らしい。そういえば北朝鮮のニュースも結構老人の方が出てくるような気がする。
ちなみに寿命じゃないけども、今年僕が旅行したフィリピンの平均年齢は25歳くらいなそうな。フィリピン人の大半よりも僕は年寄りになっちまいました。
でも僕が比べたいのは人類じゃなくて生き物全般でした。
例えば飼い犬の寿命は12歳くらいだから多分僕は地球上にいるどんな犬よりも地球にいる時間が長いはずです。シロナガスクジラの寿命は37歳くらいなので、僕より長生きしているシロナガスクジラもいるでしょう。
100歳くらい生きるシャチもいるようなので、戦争の時代を経験したシャチもいるんだろうなという感慨です。
生き物に限らず言えば、台風の寿命は5日だったり(そう言えば台風が生命かもしれないと思ったことなかったなぁ。生命の可能性ないのかなぁ)。一万円札の寿命は4.5年らしい。(なんと一万円札はトイレットペーパーにリサイクルされるとか。)
寿命が長いものでいうとサンゴは数世紀生きるらしく、その視点からいうと30年なんて一瞬にすぎない。沖縄の辺野古にもサンゴはたくさんあるけど、そういうのが土砂で埋め立てられるのはやっぱり悲しい。
30歳になって寿命のことを考えるのは早すぎるのかもしれないけど、みんな、いつか、死んでしまう。ホリエモンは「俺は死なない」ってずっと言ってるけど、今のところ、ほとんどの生物は死ぬことになっている。残念かどうかはわからないけど。隣に住んでる人が縄文時代人とか実際ちょっと嫌だしね。
ただ個人的にライフサイエンスをかじったものとしては、寿命の壁は飛躍的に越えられると思う。不老不死が可能かどうかはわからないけど、少なくとも肉体の死は乗り越えられる時代はくると思う。動物ではないけどリュウケツジュという木は寿命が7000年だったりする。キリスト以前の生き物だ。
ここまでは地球上の話をしたけども、宇宙にはもっと長生きの生き物がいるかもしれないし、もしかしたら地球が最も平均寿命の長い生き物の国なのかもしれない。
もしかしたら死後の世界にも寿命があるかもしれないし、神様たちも不老不死じゃないかもしれない。
お気づきの方もいるかもしれないですが、もはや何を書きたいかわからなくなってるし、そもそも書きたいことなんて特になかったかもしれない。
ただ、昔から強く思っていることとして、生まれてきたからには『意味のある命』を過ごして欲しいと思ってるし、人類として他の生き物にそのように寄り添ってあげられることはたくさんあると思う。
自分の命だけじゃなくて、自分の身の回りにあるたくさんの命を気にしながら生きて生きたい。これまで通りだけど。
寿命の参考にさせていただいた本はこちら。
社会問題と政治の構造に関心のある人に読んで欲しい──『政権奪取論──強い野党の作り方』
自民党が与党にあり、その存在が圧倒的に強いということが最近、自然の摂理のように当然に思えていたので、それらについて勉強した。
勉強の題材にしたのは、元大阪府知事の橋下徹氏の『政権奪取論』という過激なタイトルの本である。
自民党と業界団体との癒着
この本の中で繰り返し語られることの一つが業界団体と自民党の癒着だ。
例として家系学園の問題が挙げられていたので紹介する。
日本では獣医学部がこれまで50年以上にわたり、新設が認められてこなかった。その裏にあるのは、獣医師会の意向だ。獣医師が増えるほど激しい競争にさらされるため、獣医師会としてはその数を抑制した。そこで獣医師会の政治団体「日本獣医師政治連盟」は政治や行政に働きかけ、政治や行政もそれに応え、獣医学部の新設を認めないようにしてきた。
しかし、こうした学部を新設置するには、国会で喧々囂々の議論をして法律改正を行う必要は全くない。「文部科学省告示」というもので獣医学部の新設が制限されているが、これは文部科学大臣が自分の署名だけで、一発で制定・改正できる。国会での議決を得る必要はない。
それにもかかわらず、歴代の文部科学大臣がその告示を改正することができなかったのはなぜか。日本獣医師政治連盟を守るいわゆる族議員や文部科学省の官僚の凄まじい抵抗に、大臣が負け続けてきたということだ。
このような業界の既得権を自民党が打破するのは難しいと橋下氏はのべる。なぜならばこれまで業界団体とがっちりタッグを組んできた政党こそが自民党であるからである。
これを私が関心のある動物愛護関連に当てはめてみる。
自民党のどうぶつ愛護議員連盟の癒着
自民党にはどうぶつ愛護議員連盟というものがある。どうぶつ愛護議員連盟と全国ペット業界の癒着についてFACTA ONLINEというメディアで以下のように述べられている。
(どうぶつ愛護議員連盟について)鴨下一郎議連会長(元環境相)の下、幹事長の任にあるのが山際大志郎衆院議員。獣医師資格を持ち、ペット小売大手「コジマ」(東京都江東区)から政治献金を受ける。同社の会長は、業界団体「全国ペット協会(ZPK)」の会長でもある。事務局長は三原じゅん子参院議員。神奈川県選出の山際、三原両氏の背後には、横浜市を地盤とする菅義偉官房長官の影もちらつく。菅氏の市議時代からの支援者とされるペットショップ経営者がZPK元会長で、強硬な8週齢規制反対派だからだ。
ペット業界の意図としては、仔犬仔猫の方が愛らしく売れやすいので、8週齢規制は避けたいという狙いがあります。それを汲み取ることこそが癒着です。
事実、三原じゅん子氏は過去に多くの陳情・署名が集まっている、犬猫の販売の週齢規制について「テーブルの議論にも上がっていない」と述べ、デヴィ夫人や浅田美代子氏からも批判を浴びていました。
橋下徹氏が述べたような自民党と業界団体の癒着の典型的な例だと思います。そしてそれは自民党内の自浄作用ではなかなか打破できない問題でもあると思います。
だからこそ橋下氏は野党こそが既得権益を打ち破る役割を担うべきだとしています。
やはり野党こそが既得権益を打ち破るべき
橋下氏は自民党は大きく捉えれば「古き良き日本」であり続けることと述べており、これを国民に押し付けるという発想でいると捉えています。
であというれば、野党は「未来を志向している」という新しい道を示し、「国民に選択してもらう」という発想を根底とすべきと述べています。
このように書くと「ポピュリズムだ!」と感じる人がいるかもしれませんが、橋下氏は日本のように教育水準が高く民主主義の成熟した国民がいるならば、正しい政治が導かれるとしており、それは正しいポピュリズムになる。国民が賢い国なら、その大多数の意向に沿った政治がいいに決まっていると述べています。
だから野党は国民のニーズを圧倒的にマーケティングして、国民の意向を取り入れるべきとしています。
おわりに
この本を読んで僕は野党を応援したいと思いました。他方でどの党を応援すべきかというのはまだ見えてきていないので、それはきちんと勉強して行きたいと思います。
ただ一つ言えるのは、自民党のどうぶつ愛護議員連盟は全く信用できないということ。そうではなくて、超党派の「犬猫の殺処分ゼロをめざす動物愛護議員連盟」の方が数倍信用に値します。
犬猫の殺処分ゼロをめざす動物愛護議員連盟 - Wikipedia
まずはこの組織に所属している人の動向をtwitterなどで知っていき、場合によっては応援したいと思います。
動物の問題だけではなく社会問題全般に対して一定の回答がなされている本です。関心のある方はぜひ読んでみてください。
生まれ変わったらどの生き物になりたいですか?
おはようございます。
読書の時間とアウトプットの時間のバランスが難しいと感じている西村です。
今週、大好きだったばらかもんという漫画が連載終了しまして、センチメンタルになってます。
ばらかもん(18)(完) (ガンガンコミックスONLINE)
- 作者: ヨシノサツキ
- 出版社/メーカー: スクウェア・エニックス
- 発売日: 2018/12/12
- メディア: コミック
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連載終了は喜ぶべきことなんでしょうが、一方で作品の擬似的な死に近いものもあると思っています。
打ち切りは事故死。引き伸ばしは延命。きちんと連載を完了できたものは天寿を全うしたといったような。
そういうこと考えてたら、死にたくないと改めて思ったんですよね。あとは死んでも生まれ変わりたい。
どの生き物に生まれ変わりたいかという思考実験
- 地球上の生き物であれば種族だけは選べる
- 生まれる場所、環境は選べない
- 性別とかも選べない
こういうことを考えたときにどういう生き物になりたいとかありますか?
植物になってずっと生きてみたいとか、イルカになって大海原を全速力で駆け抜けたいとか、タコになって手足を自在に動かしたいとか。
僕は社会性の草食動物がいいなと思ってます。ゾウとかウマとか。
でもよ
野生の世界はやっぱり弱肉強食で怖い。でもそれ以上に怖いのは人間以外になるということだと思う。
イルカもタコも人間に食べられるかもしれない。イルカにいたっては動物園で生まれるかもしれない。
ゾウも象牙を狙ってマシンガンで虐殺されるかもしれないし、魚に産まれたとしてもも突然基地の建設のために土砂を投入されるかもしれない。
そういう意味では、消去法的に人間が一番マシかもしれない。もちろん、女性に生まれることで選挙権がなかったりするとかあるし、人間に産まれても望むような人生を送れない可能性もある。
平和な世界とは
どんな生き物に産まれてもある程度幸せに暮らせる可能性が高い世界こそが平和なんじゃないかと思ってきました。
控えめに言いましたが、結構確信に近いです。
牛に産まれてもチューリップにイワシに産まれても幸せなLIFEがありますように。
人の神性は目に宿る。現代美術家小松美羽さんの作品を作品を見て感じたこと。
今をときめく現代美術家の小松美羽さんの展示会が今週(12月16日)まで日本橋で開催されています。
小松美羽さんの作品を見たのは初めてだったのですが、絵画を見つめていると鳥肌は立つし、何よりも初めてアートを目の前にして涙しそうになりました。
それくらい魂のこもった作品たちが展示されています。いかに素晴らしかったか、僕が何を感じたか、伝えずにはいられないので書いて行きます。
小松美羽
ときに美しすぎる現代美術家として紹介されています。僕が展示会に行った際にもご本人がおられてそれはそれは綺麗な方でした。すらっとしていて身長も170cmくらいあったように思います。
恥ずかしい話、猛烈に嫉妬しました。絵も死ぬほど魅力的なのに見た目まで美しいこともそうなんですが、この人は自身の美しさに甘えることなく自分と向き合ってアートを作ってきたという事実が認めたくないくらい悔しかったです。
僕の思いはさておき、小松美羽さんの実績はこちら。
1984年長野県坂城町生まれ。女子美術大学短期大学部在学中に銅版画の制作を開始。20歳の頃の作品「四十九日」は、際立つ技巧と作風が称賛され、それをきっかけにプロの道を切り開く。2014年には出雲大社へ作品を奉納、自らの制作テーマを一段と昇華させた。同年、石原和幸(庭園デザイナー)との共作で「チェルシー・フラワー・ショー」(ロンドン)へ有田焼の狛犬作品を出品、受賞作が大英博物館へ収蔵されるという快挙を成し遂げる。ワールド・トレード・センター(ニューヨーク)への作品を収蔵、アジア各国での個展・ライブペインティングを行うなど多方面で国際的な活躍をみせる。
小松美羽展(日本橋三越本店)より引用
世界でも素晴らしく評価されている方です。作品はこの後に紹介しますが、守護神や神獣といったスピリチュアルなものを描くことが画風になっています。
また絵を描く姿も幻想的です。関心のある方は展示会の前に動画を見てみることをおすすめします。
作品の紹介
写真の撮影がOKでしたので作品をご覧ください。この二作品の両方が神獣を描いています。
みなさんは何を感じられたでしょうか?
最初に僕が感じたのは、派手さや狂気と言ったものでしたが、なぜか絵画の前から動けなくなって、体が震えました。泣きそうにさえなりました。
おそらく僕の場合は小松美羽が描く心中の『目の光』に魅了されていたのだと思います。
僕が考える小松美羽作品の最大の特徴はなんと言っても『目』です。
どんなに形がいびつな神獣でも、あるいは神獣でさえなくても目の光だけは必ずはっきりと描かれます。
この作品は神獣ではなく神樹ですが、それでもはっきりと『目』が描かれています。
この作品も全体が暗い色なのに対して目にだけ光が入っている特徴的な作品です。
人は目に神性を感じる。
ここからは僕が気づいたことなのですが、僕たち人は『目』に神性を感じることになんの違和感も感じません。口でもなく腕でもなく『目』に神性を感じます。
それはやっぱり僕たちが見ることをとても、僕たちが考えている以上にとても大切にしているからです。
余談ですが、だから本なんかで動物が見ているだろう世界を疑似体験したときに僕たちはその違いに驚かされます。
話を元に戻しますが、小松美羽さんは自分の中にいる(or過去に出会った)神獣を描いていると述べられていました。その神獣の目が輝いているのはやはり小松美羽さんも人であり、人の領域から神獣を描いていることに他ならないと思います。
結構確信していますが、人以外の生き物が描く神獣は『目』に神性は宿っていないと思います。タコが描く神獣は腕が特徴的だろうし、犬が描く神獣は尻尾が特徴的かもしれません。
そういうことを考えた展示会でした。きっと小松美羽さんはそんなこと考えたことないだろうけれども僕はそう感じました。そして見るということをもっと大切にしたいと思いました。
おわりに
アートに触れてここまで自分の感性に深く踏み込んで、その感性を理解しようと思ったことはなかったです。ただ小松美羽さんの作品はそれをさせるだけのパワーがありました。
12月16日まで無料で開催されていますので、関東近郊にお住まいの方は絶対に行くことをお勧めします。
写真と現物は全く異なりますので!
小松美羽さんは本も書かれています。すごすぎる。
展示会に行けば絶対に読みたくなるので(僕もさっき買いました)、事前知識を入れるのが好きな方は読んでから展示会に行くことをおすすめします!
世界のなかで自分の役割を見つけること――最高のアートを描くための仕事の流儀
- 作者: 小松美羽
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2018/03/08
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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おわりになりますが少しでも関心のある方は現代美術と敬遠せず、絶対に足を運んでください。世界が変わるきっかけがそこにあるかもしれません。